そーいちろー

クラッシュ 4K無修正版のそーいちろーのレビュー・感想・評価

クラッシュ 4K無修正版(1996年製作の映画)
4.2
相当に狂った映画だった。破壊と再生、エロスとタナトス、リビドーなど、それらしい言葉は並べられるが、スクリーンに映し出される映像の強度が全てを物語っている映画。

ほぼ全編カーチェイスとセックスシーンに彩られていると言っても過言ではない本作を、あえて深読みしようとするならば、工業社会の象徴たる自動車と、我々人間自身を結びつけるものは性的欲動に他ならならず、その発展と、発展のための破滅(消尽)は必然であると語ることができよう。

車の衝突シーンや傷痕や衝突痕の割れ目はそのままそれであるし、海外自動車特有の長いノーズのフォルムはわざとらしくジャックラカンを引用すれば、ファルスそのものだ。

本作はある自動車事故をきっかけに主人公が得体の知れない世界へと入り込んでいく作品である。その水先案内人たるイカれた男ヴォーンとの関係性は倒錯しており、ほとんど恋愛関係にあるように映る。それは同じ「David」であるフィンチャーが「ファイトクラブ」で描き出した二人の男の関係とも酷似している。

実際のところ、本作とファイトクラブの類似性は特筆すべきところであり、どちらもある種の高度工業化社会の現代を批評的に扱った作品であると言える。

またどちらにも言えるのは、昨今流行りのフェミニズム的言質を借りれば、徹底したミソジニーとマチズモの強化を性的描写と衝撃的な事故シーンの反復をもって、その強化、あるいは現代の工業化社会の成り立ちは男根的な思想、破滅欲求によって作り上げられた社会であるという事を示しているようにも感じられる。

たくさんの死や事故を負い、傷を負った車たちが並ぶ事故車置き場は、まるでそのまま現在の我々がさまざまな破滅欲求による破壊とその再生によってもたらされた現代社会そのもののようにも映る。まさに我々は壊れた自動車のような社会を生きているようなものとも言える。

そして一見すれば性的な解放に満ちていると思われる女性たちも、そこには男たちによって痛めつけられ、貫かれることでしかその解放が満たされないように描かれている様は、まさに女性の存在自体が男性相互の関係性を強化するための補完的な存在でしかないとされるマチズモ的、そこに根深く横たわるミソジニー的思考が描き出されているようにも思われる。

ただし本作がマチズモを称賛したものなのか、あるいは批判的に捉えているか否かは、正直どうでもいい。この作品の世界観に乗れるか否かしか問題にはしていない。

本作が何か意味があるかといえば、特にない。とにかくこの破滅的な欲動に駆られた世界観に何を感じられるかどうかだ。

なお、本作は完璧なSFである。いくらなんでもあれだけ派手にカーチェイスで度重なる衝突事故を繰り返したり、危険なカースタントを勝手に開催したりしても、なんのお咎めなしというのもおかしいし、そもそもの主人公の最初の衝突事故は完璧な脇見運転による過失事故で殺人まで犯しているのだから、ブタ箱にぶち込まれて然るべき。また、ヴォーンが執拗に交通事故シーンを撮影するシーンがあるのだが、あんな簡単に事故現場に入れるわけがないし、絶対立ち退きさせられる。

そういう完璧なファンタジー映画という側面もあり、たまに観たくなる作品に出逢えた。

リンチ、クローネンバーグ、フィンチャーと、なぜ「David」の名がつく監督はイカれたセンスある映画を撮る才に長けているのだろうか。
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