ジャン黒糖

ボクたちはみんな大人になれなかったのジャン黒糖のレビュー・感想・評価

3.2
webメディアnoteに連載していた燃え殻さんによる同名原作の映画化。
森山未來・伊藤沙莉という間違いない2人の共演、エモ過ぎる予告映像に期待して鑑賞。

【物語】
TV美術制作会社で働く”ボク”は、かつて抱いていた夢に向けて動くこともせず、ずるずると日々過ごしていたが、ある日、かつて同じ時代を歩んできた元バイト先の同僚であり友人と再会し、忘れてしまっていた”あの頃”を思い出す…。

【感想】
んー、、、、劇中のエモに乗り切れなかった。

2020年から1995年までを遡る本作はたしかに懐かしいアイテム、場所、音楽が登場する。
ただ、”ボク”が心にしまっていた過去のそういったエモ要素や記憶が現在と繋がってるようで繋がっていないように見えてしまい、観終わっても「で、結局なに?」とモヤモヤした。

原作は未読、PodcastやYouTubeで監督や脚本家、原作者のインタビューを本作の補完的に見た状態なので、オリジナルからの改変部分を把握し切れている訳ではないけど、エモに乗り切れなかったひとつの要因として、映画オリジナルに追加されたであろう、原作連載時にはまだなかったコロナ渦現在の東京描写が、脚本として若干上手く行っていないと思った。

たとえばボクは冒頭、渋谷区円山町でコロナ禍によって閑散してしまったラブホ街を見て、いまだに忘れられないかおりとの最後を思い出す。
映画を観ながら「あぁ、たしかに円山町を見ると自分も20代前半の若々しい頃を思い出すなぁ」と思った。
すると場面は変わって2015年末に遡るのだけど、そこでもボクはFacebookの「知り合いかも」を見てまたかおりを思い出し、場面は2011年へとさらに遡る…。

ん!ん!?
たしかに、現在を描くことで観る側とボクに生きる時代をシンクさせたい必然性はわかるけど、これ2020年パートと2015年パートは、2020年にまとめて描いてもよかったんじゃない?!
これだと、2015年にFacebookを見たときにボクは過去の感傷に浸らなかった一方で2020年現在は心にしまっていた過去の扉を開けざるを得なくなったる理由がちょっと飲み込みづらいし、話として単純にカブる。

しかも現在パートでボクは、旧知の仲間との再会がきっかけで2015年にフラッシュバックする訳だけど、2015年にその旧知のお相手はいないし、なんなら別にその友人自体もかおりとの接点が、少なくとも劇中の回想では描かれなかったりする。

そのため、なぜ思い出の彼女がそこまでボクにとって重要な存在なのか、若干ピンと来づらい。
これは原作未読なので勝手ながらの予想込みだけど、元の原作小説がwebメディアに掲載していた連載モノで、且つ回想する場面は映画のように徐々に昔に戻っていくような構成になっていないようなので、おそらくは連載ゆえに逆に強みとなっていた個々のバラバラに散りばめられた回想が、1本の映画として整理する際に活かしきれなかったのかな、と。


また、描かれる過去回想も、かおりは出会いと別れのそれぞれのキッカケが描かれるが、他のかつての恋人たちは描かれない。
(歌舞伎町で出会ったスーちゃんはたしかに別れが描かれるけどあれは外的要因が大きいし)

個人的には大島優子演じる、劇中では一番直近の恋人にあたる恵は、他の元カノと違って出会いのきっかけ描写もなければ、いま現在になって彼女のことをボクが思いやる描写もないので、彼女の扱い、回想の切り取られ方はかわいそうに感じた。

伊藤沙莉演じるかおりとの回想パートは他の元カノよりたっぷり尺もある、その時代その時代の懐かしいアイテム・場所もたくさん出てくる。
これで忘れられない存在、ってちょっとんー!そりゃそうなんだろうけど!んー!

あと、原作者である燃え殻さんも本作の主人公ボク同様、TV美術制作会社に務めていたことからも、おそらくは私小説的な、主人公ボクと燃え殻さん自身の人生を重ねて観るであろう作品。

だとしたら、もう少しボクに対して「小説を書くこと」の描写があった方がよかった。
ボクのかつての友人である関口も、ボクが物書きしてることを知っていたくらい、本当は小説を書いてたみたいだし、その陰ながらの努力が、現実においては燃え殻さん自身の現在に繋がる訳だし。

ボクは相手と距離をとる際、時折「普通だね」と口にするが、彼は過去を振り返ることで何かに気付けたのだろうか。
この映画における”普通”とは、もうひとつ劇中頻繁に出てくる「こだわり」と読み替えてもいいかもしれない。
ボクはこれまで、誰かと長く付き合っても結局はマンネリ。それに心折れて別れた恋人たちがいる。
別れた理由は、結局相手といること、相手と長く関係を築きあげることへの「こだわり」が彼になかったからだと自分は思った。

スーちゃんはボクを「絶望してる人」と表現したけど、彼は本当の意味に何に絶望しているか実はわかってないんじゃないかと思う。

たくさんのエモい要素は出るものの、結局過去の思い出と現在が繋がるようには見えず、それゆえ観終わっても「んー、、、で、結局、?」と思ってしまった。

細かいところだけど、コロナ禍現在の描写として、友達といるときはまだしも、不特定の人が乗るタクシーのなかでもマスク着用していないことを注意されることなくいる、って特に新宿ともあればリアリティないしなぁ〜。


ただ、主演の森山未來さんをはじめ、キャスト陣みんなよかった。
伊藤沙莉さんは言わずもがな、大島優子さん、東出昌大さん、SUMIREさん、みなさんよかった。
ゴールデン街の飲み屋の光景、懐かしいなぁ…。早く、ああやって気兼ねなく飲んでた日々がまた戻ってくるといいなぁ。
その意味では、コロナ以降の映画ゆえ、エモさがプラスされた部分は大いにある作品だとは思った。やっぱある世代からするとオザケンって特別な存在だよな。
ジャン黒糖

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