女性ジャズヴォーカリスト御三家のひとりとして伝説と化したLady DayことBillie Holidayの44年の生涯を追ったJames Erskine監督のドキュメンタリー作品。
ドキュメンタリーと謳ってるのに、なぜか
監督のジェームズ・エルスキンは脚本にもクレジットされている謎…。
脚本ではなく編集なんじゃないの?
あなたがインタビューされる人の台詞を書いた訳じゃないでしょうに…
『不都合な真実』の1も2でも、脚本にアル・ゴアの名前がクレジットされてて、なんで?と思ったけど…単純に脚本にクレジットされたら、脚本料として金が何%か入るからじゃないの?それを見越して脚本にクレジット入れろ!と言ってそうで…
ドキュメンタリーだからねぇ…脚本も何もないと思うんだけど。脚本の定説というか、言葉の概念が滅茶苦茶になっている気がする。
しかもジェームズ・エルスキン脚本監督となっているが…その中身はと云うと、ビリー・ホリデイに魅せられた女性ジャーナリストLinda Lipnack Kuehlが、8年かけて関係者にインタビューを敢行し125本にも及ぶカセットテープに録音して集めたものを切り貼りして繋いでいるだけ。
当然、リンダ・リプナック・キュールは自らの手でビリーの伝記を完成させたかったわけだが、執筆の最中に38歳の若さで不慮の死を遂げる。この謎の死も大いに裏がありそうなのだ。
本作はビリーの伝記を書くべくしてビリーを追い続けながらも若くして死んでいったリンダ・リプナック・キュールと、壮絶な生涯を送ったビリー・ホリデイという二つの人生をシームレスに並行して追うのだが…。
このシームレスに描き出したことこそが失敗の大きな要員だと感じる。
ビリーを描きたいのか?
ビリーを追ったリンダを描きたいのか?
いや、両方でしょ?と欲張った結果…どっちつかずでバラバラになった印象を受け、ただただ分かりにくいという始末に。
ビリー・ホリデイ愛好家なら、また違う印象かもしれないのだが…。
そこまでビリー・ホリデイの背景も知らずに、単純にこのドキュメンタリーでビリー・ホリデイのことを深く知りたいと思ってた私からすると…焦点がブレてしまって非常に見にくい。
ビリーを追ったジャーナリストであるリンダの謎の死を追うのか…それともビリーの素顔をインタビューから炙り出すのか…。
そのどちらかにした方が焦点が絞れて良かった気がする。
こちとらビリーのことも知らない上に、さらにもう一つビリーを追っていたリンダのこともシームレスにやられると情報過多になってしまい、いまビリーのことなのか、リンダのことなのか、シームレスどころかバンバン混じってしまい理解できない。
なんでもっとシンプルにしなかったのか…
折角、映像化してるのに…なんのために映像化したのかも不鮮明。映像化の利点を全く活かせてない。監督は映像化の長所が分かってないんだと思う。
ほぼほぼ静止画の写真と、テープレコーダーを回す手と、テープが回るところの動画ばかり…。
これでは何のために映像化したのか…
音声インタビューの素材しかないから、まぁ仕方がないのかもしれないけど…それでも、もう少しやりようあったと思うけど。
結局は、周囲の人物の証言記録を並べただけで、それも人によって言ってることが様々だからねぇ。全く人物像が掴めない。
まぁこういう人だと制作側が決めつけないで、見てる人に委ねようとしてるのだろうけど、ビリーに縁もゆかりもなかったら、全く分からないよ。
こういうドキュメンタリーは一番やってはいけない見本のような作品だと思う。
感じることもできないなんて…。
そもそもビリー・ホリデイが歌ってる途中なのに、そこにインタビューの台詞を被せる時点でリスペクトないだろ?
カラーで歌ってるところを大音量で見たいのに…なんでそこにインタビュー被せるの?アホちゃうか?
伝記本の執筆に8年かけて、未完のまま死んでいったリンダの気持ちも汲んでない。全て蔑ろにしてしまっている。
あと劇場の非常口の電気を消してくれよ。
法的に消せないのかもしれないけど、カバーかけてもう少し暗くするとか…なんかあるでしょ?一番席数の少ない小さいシアターだったから、めちゃくちゃ明るかった。
会場に対しての非常口の掲示板の大きさが気になった。比率がおかしいよね?古い劇場だから仕方ないけど…
車用のスモークを貼るとか、なにかやりようがあると思うので、やってほしい。
ーなぜ女性のジャズ歌手は短命なのか?
ビリー・ホリデイ
「私たちは1日で100日分生きたいの」