カーペットがある限り

Billie ビリーのカーペットがある限りのネタバレレビュー・内容・結末

Billie ビリー(2019年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

ビリー・ホリディの生涯については、あまり多く特集されたことがないが、とにかく搾取され続けた人だった、という印象が深い。

この映画は、ビリー・ホリディの生涯を綿密にリサーチし続け、1979年に事故で亡くなったリンダ・リプナック・キュールという女性記者が集めた膨大な資料から、ビリーの生涯やその波乱に満ちた生活を辿るという面白い造りになっている。

実は、このリンダさんは、ビリーの取材をしている最中に、ビリーの著作権だったか、薬に関することだったかで深く関与していた男に脅され、殺されたのではないかとも読み取れる。

つまり、少ない利権のパイを巡って裏の世界を牛耳っている奴がたくさんいるってこと。

それだけ、ビリーの生きていた世界は、まともに生きることがいかに難しいか、黒人の置かれた(厳しい現実が、自分たちでマフィア化して強い奴しか生き残れないサバゲー状態にしてしまった)状況がいかに厳しいかを見せつける。

元々は、ボルティモアの貧しい家庭に生まれ、父親は不明、母親は彼女に売春させてまで金を稼ごうとした。そんな中、彼女に歌の実力があると知ると、ニューヨークへ移住。

しかし、付き合う男は、彼女を殴り、薬漬けにし、煩わしさを紛らわすために酒に酔う。ステージを酔ってぶち壊しにしたり、穴を開けたりすることも1度や2度ではない。

しかも、おそらく黒人女性が当時一人で生きていくことなんて、まずできない。そうなると自分を守ってくれる強い男が必要だ。そういう男は暴力を振るい、セックスが激しく、そういう基準で男を選び、寂しくなると、また男を欲するようになる・・・。

そして、その経験を歌にする。経験は真実だから、聞く人たちの心に響く。彼女は感情を歌に空気を伝って風のようにそっと乗せるのが抜群にうまい。こんな歌手は、世界広しといえども、日本のちあきなおみしか思いつかない。

彼女の歌が人気を呼ぶと、ますます男がたかり、彼女に暴力を振るい、薬でがんじがらめにして、男にすがっては捨てられる。弱い男はヤり捨てて、強い男を求めて股を開く。そんな生活が当たり前で、それをふっと歌詞にすると、その歌がまた売れる。

ビリーは「レディ」と呼ばれた。彼女に近寄れるのは、彼女がどっぷりとハマった黒人の非情なヒエラルキーの社会を支配できる、強い男しかいないのだ。


音楽業界で成功しているように見える女性がいかに歌がうまくて魅力的だったとしても、一般の人たちはもとより、業界人すら近寄ることが難しい。彼女もこの虚構に満ちた世界に固執してしまうなら、誰かが彼女を苦悩から救い出す事は難しいだろう。



彼女の歌う歌の歌詞は、全てさりげないが、事実に基づいたものだから、もっときちんと覚えておけばよかったな。

ワイドショーのネタになりそうな話題はたくさんあったが、本質はそこにない。

彼女は自分なりに自分の人生を生きたけれど、それはその世界が彼女をそこに閉じ込めることを意味していたことが深く印象に残って、やりきれない。

最後に結婚した男にも暴力を振るわれ、別れようとした矢先にビリーが亡くなり、遺産は全てそのバカ男が相続。彼女は亡くなった時にはたったの750ドルしか持っていなかった。

その20年後。彼女の生涯を追っていた女性記者リンダにも、その深い闇が訪れる。金を持った黒人にたかるどうしようもない毒は、近寄るものを全てぶち壊しにしてしまう。

これは、ホイットニー・ヒューストンの映画でも改めて確認できることだが、ダイアナ・ロスやビヨンセだって、うまく生き残っているじゃないか。彼女たちとの違いはなんなのか。

もしかしたら、後ろ盾の影響力だと思うが、バランスをとっていくのは、並大抵のことではない。闇の深さは到底予測もつかないが、ビリーの囁くような声は、今夜も優しく耳に響く…。