これは難しい映画でした…
初見では、レコード会社でブルース歌手がバンドを携えてレコーディングをする一日の話、としか読み取れませんでした。
なんのこっちゃ?全く作品を理解できない…嗚呼、いと情けなし…
主題が見えてこず、コンテクストも理解できなかったし、メタファーも難しくて、一回観ただけだと何がなんだか状態でした。
「マ・レイニーのブラックボトムが映画になるまで」のメイキングの方も観て、ようやく作品の解像度が上がりました。これメイキングも鑑賞必須ですね。本編90分、メイキング30分なので両方あわせて観やすいと思います。
①マ・レイニーの黒人女性アーティストとしての権利の抵抗
②レヴィーの夢追い人としての模索
③レコード会社によるブラックミュージックへの搾取とカルチャーの消費
この三つ巴のギリギリの拮抗を、たった一日のイベントを通して如何に黒人が差別されてきたかを、巧みに演出されていたことがようやくわかりました。
ヴィオラ・デイヴィス(スーサイド・スクワッドのあの長官役の人やったんか!)演じるブルースの母マ・レイニー。
1927年のシカゴにおいて、女性がしかも黒人である彼女がアーティストとしてどれだけ軽んじられ搾取されようとしていたのか。かなり傲慢で高圧的に感じたマ・レイニーがどんな想いでそんな態度を振る舞わなければならなかったか。
2回目見直すと、冒頭でレヴィーのことを脅威に感じていたことがようやく読み取れました。若き日の自分の姿がきっとレヴィーに投影されていたのでしょう。
関係ないけど…あんな一気飲みでコーラいってもたら、レコーディング中にどでかいゲップ出そう…
チャドウィック・ボーズマン演じる若きトランペッターのレヴィー。
夢を追い求めてアメリカ南部から北部までやってきた。グリーンブックでもあったように、当時の南部における黒人差別の劣悪さは本当に酷いものだったようです。生きるため、働く場所を見つけるため、夢を叶えるため北部へ来たレヴィー。
自らの才能を必死でアピールして、他者から承認してもらうしか生き残る道がない。どんなに才能があっても黒人だからという理由で白人からは認められない。
八方塞がりで、尊厳を踏み躙られたレヴィーは絶望の行動に出るしかなかった…
カルチャーを奪われ、白人は黒人に対して敬意を示さず、それを支配し消費するだけ、というあのエンディングの絶望の意味もようやくわかりました。
なんのオリジナリティも、創作性も、独創性もない。コモディティ化された白人の、白人による、白人のためのブルース。
そこには、もはや魂などない。
本作、エンドロールまでが本編です。
才能と情熱を称えて…