Jeffrey

尼僧ヨアンナのJeffreyのレビュー・感想・評価

尼僧ヨアンナ(1961年製作の映画)
5.0
「尼僧ヨアンナ」

〜最初に一言、超絶傑作。これぞ記念すべきATG最初の配給映画であり、ポーランド派の数多くある作品の中でもベストテンに入れるほど大好きな1本である。悪魔に取り憑かれた尼僧を救おうとする神父の戦い…これだけで細胞が騒ぐほど興味深く、17世紀フランスの史実に基づいた短編小説をここまで見事に描いた映画も稀だろう。この作品を私は、政治的隠喩もキリスト教批判も越えて、緊張した冷静な映像で抑圧された人間性の本質に迫ったカヴァレロヴィチの大傑作と言いたい〜

冒頭、神父の祈り。鐘の音。二体の馬。悪魔憑依、悪魔祓い…本作はポーランドの作家ヤロスワフ・イワシキエウィッチの"天使たちの教母ヨアンナ"を基に、「影」のイェジー・カワレロウィッチ監督がタデウシュ・コンヴィツキと共同で脚色、演出した異色作で、紀伊国屋からDVDが発売され、そちらを購入して初鑑賞したのは今から9年前のこと。こちらも日本アート・シアター・ギルド(ATG)の作品で評価が高かったために見たのだが、やはり大傑作であった(キネマ旬報外国語映画ベスト6位になっている)。そして数年前にBDが発売され再鑑賞し、今回3度目の鑑賞したがやはり素晴らしいの一言である。1961年カンヌ国際映画祭で審査員特別賞受賞していて、日本映画ペンクラブ推薦に抜擢されている。撮影は「灰とダイヤモンド」のイェジー・ウォイチックが、作曲はアダム・ワラチニュスキーが担当しているが、伴奏音楽は用いられていないみたいである…。出演者は「鉄十字軍」のルチーナ・ヴィニエツカ、同じくミエチスワフ・ウォイト、新人アンナ・チェピエレフスカ、マリア・フヴァリブクなどで、1960年のポーランド作品である。


やはりポーランド映画と言えば、アンジェイ・ワイダに始まり、アンジェイ・ムンク監督と共に、いわゆるポーランド派の代表監督の1人と評されたイェジー・カワレロウィッチ監督の「夜行列車」に続く第5作であるこの作品は彼の集大成だと思う。17世紀のフランスの或る地方に実在したと言われている悪魔に憑かれた尼僧の記録が今も残っているが、この史実に基づいて詩人、劇作家、エッセイストとして名高いポーランドの老大家ヤロスワフ・イワシュキェウィッチが、1942年に発表した小説(天使たちの教母ヨアンナ)を、この後「太陽の王子ファラオ」でもカワレロウゥッチ監督に協力し、自らも1958年以降は監督として、「夏の終わりの日」等を演出しているタデウシュ・コンヴィッキとカワレロウゥッチ監督が共同で脚色している。ポーランド映画に興味がない人にとっては、そこら辺はあまり重要ではなく知らなくてもいいことだが、この作品をわかりやすく解説するために私の知っているありとあらゆるポーランド派と言われる映画の知識をここに書いておきたいと思う。

といっても大体学生時代に読んだ本の記憶の片隅に残っているものを絞り出して書いているため、もしかしたら間違っている(混同してたり)可能性もあるが、そこら辺は大目に見てほしい。カワレロウゥッチ監督は、17世紀のある尼僧院を舞台に、悪魔に取り憑かれたと見なされている院長尼ヨアンナと悪魔払いに派遣されたシリン神父との異様な愛の物語を、美しい構図の中に映像化している。中世紀の尼僧院での出来事を書いているとは言え、その根底にあるものは人間の意識の問題であり、偏見にとられた人たちの考え方であるとするのは、カトリックの国と言われているポーランドにあって、特定の宗教にとらわれないカワレロウゥッチ監督の宗教に対する考え方に根ざしていると言える。この映画のそういった特色が大いに高く評価され、61年のカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞されたと解さるべきなのは言うまでもないだろう。

さて、17世紀の半ば頃。ポーランドのある寒村に一堂の尼僧院があった。そこの院長尼は若く美しい教母で、人々は天使たちの教母ヨアンナと呼んでいた。ところが、こともあろうに彼女は悪魔に魂いられてしまった。すると十数人の修道尼たちも、悪魔の踊りを讃美歌を歌いながら踊り狂った。ヨアンナ尼がこんなことになったのは、この辺の教区司祭ガルニエル神父が原因だった。この美男の神父は魔法使いだと言う噂があって、夜毎ヨアンナの寝室に侵入し、そのために彼女は悪魔に取り憑かれたのだと人々は囁きあった。驚いた都の大司教は12人の悪魔払い僧を派遣して、宗教裁判の結果、ガルニエル神父を火あぶりの刑に処した。尼僧院には4人の僧が残り、何回となく悪魔払いを行ったが、ヨアンナ教母に魂いった悪魔は一向に退散しない。そこで大司教は、童貞僧スリン神父をつかわした。

スリン神父は1週間の断食をして身を清め、新しい教区司祭のブリム老神父に祝福を受けてから尼僧院に乗り込んだ。案内のマウゴジャータ尼が去ると、ヨアンナはいつの間にか神父の傍に来て、神だけを信じれば悪魔は必ず離れると悟しても、悪魔の存在を信じないお前の祈り何かで私たちがこの素晴らしい体から出ていくものかとかすれた声で嘲けり、悪魔の笑いを響かせて壁にどす黒い血の手形を残して部屋を出て行った。翌日、礼拝堂でスリン神父と僧たちが悪魔払いを執行したが効果はなかった。そこで神父は、屋根裏部屋でヨアンナと2人きりで苦行を続けることにした。苦行は神への祈りから悪魔的な倒錯の肉欲の愉悦となり、女を知らぬ童貞僧はいつか自信を失い、祈りの力も神の存在も信じられなくなった。そこで村の老人ヴォウォドキェウイッチに案内され、ユダヤ教司教のもとを訪れた。

司祭が言うには、ヨアンナ院長尼に悪魔が魂いってるのではなく、彼女から天使が去って彼女が人間本来の自然に戻ったのであろう。さらに、神が万物を作り悪魔も造ったとキリスト者は言うが、悪魔が万物を創造したと考える方が、病気や死や戦争の存在を説明し易いのではないかと反論されて、スリン神父の悩みはかえって深まった。ある日ヨアンナは、神に仕えるよりは悪魔が与える諸々の悦びに身を任せる方が、よっぽど生きがいがあると口ぶしり、でなければ私を聖者にしてくださいと神父に訴え、自分の顔を神父の顔に触れた。神父は錯乱したままにヨアンナに接吻していた。すると、たちまちスリンは烈しく絶叫し、床にのけぞり倒れて猛烈な勢いで階段から転がり落ちた。悪魔がスリン神父の体内へ移ったのだった。宿屋の一室でスリンは悪魔に脅迫される。人を殺して永遠に悪魔に従うこと。彼は激しく断ったものの、悪魔に逆らってまたヨアンナに取り憑かれては何もかも水の泡に帰すると不安を感じ、彼は斧を振って自分の従者と宿屋の下男を殺した。


この夜、悪魔に魂いられていない唯一人の尼僧マウゴジャータは還俗を決意して、悪魔払いを見物に来ていた廷臣風の遊び人のベッドを共にした。しかし男は、明け方白馬に乗って逃げ去った。騙されたと知った彼女は、スリン神父に事の次第を訴えに行く。血の滴る斧を下げた神父は、尼僧院に戻ることを命じた。スリン神父は、ヨアンナ教母を聖者にするために人殺しをしたが、それ以上に彼女を愛するが故に人を殺したと院長尼に伝えてくれと彼女に頼んだ。マウゴジャータは尼僧院へ走っていった。ヨアンナ院長尼は、泣き濡れた俗衣のマウゴジャータを抱いた。ヨアンナの白い頬にもキラリと涙が光った…とがっつり説明するとこんな感じで、尼僧院という特殊状況の中における人間の狂気というものを通して人間性へのテーマに迫りながら、そこから映画の背後にあるこの国の複雑な政治的状況を感じさせると言う重層的映像構成を描いたまさに傑作である。



この巨大世界に対して修道院と言う小宇宙的空間で描かれる人間の本性と、役者のカメラ目線手法が緊張感を与え我々を映画に引き込む。今思えばATG配給最初の洋画だ…‬。十字架の形で倒れるシーンなど本当に圧倒的で凄い。悪魔に憑依された瞬間の表情などとてつもなく怖かった。構造がすごくて原作をめっちゃ読みたくなる。撮影を担当したウォイチクは、ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」や「太陽の王子ファラオ」を手がけており、美術を受け持ったロマン・マンは、「灰とダイヤモンド」やカワレロウゥッチ監督の「影」や「戦争の真の終わり」(この作品は未だに国内でソフト化されていないため非常に見るのが困難である。というかメディア化されていないのだ)などを担当していたが、この作品の完成後まもなく他界しているのが残念でならない。

そしてこの作品の音楽も素晴らしく、カワレロウゥッチ作品に協力しているアダム・ワラチニュスキーの作曲になる音楽は、登場人物たちが奏し歌う歌曲だけに限られており、いわゆる伴奏音楽は用いられていないのだ。主演のルツィーナ・ヴィンニッカは、実生活ではカワレロウゥッチ監督の夫人で、「戦争の真の終わり」「夜行列車」と監督作品に出演しており、相手役のミエチスワフ・ウォイトはベテランの舞台俳優で、これがフォルド監督の「鉄十字軍」(1960年の作品)について2度目の映画出演で、この後「太陽の王子ファラオ」などにも出演している。この2人のほかにアンナ・チェピェレフスカは「パサジェルカ」(ムンク監督の遺作)で、カジミエシ・ファビシャクは「壮烈303戦闘機隊」などに出演している役者である。といっても私が最後に言った映画タイトルはまだ見れていない。

先ほどからポーランド映画マニアぐらいにしかわからないような映画タイトルだったり名前がたくさん出てくるのだが、私が数年前にポーランド映画特集が日本で公開された際に、紀伊国屋から発売されたBDの中であまりの素晴らしさにALL TIME BESTを揺るがされたヴォイチェフ・ハス監督の「サラゴサの写本」と言う作品があるのだが、この「尼僧ヨアンナ」でオドリンに扮したフランチシェク・ピエチカは、これが映画初出演で、その後に「サラゴサの写本」や「ヤセッポとその中間」(こちらの作品は日本に来ていないため見ることができない)など数多くの映画に出演して活躍している。ちょっとした豆知識だが、多分ほとんどの人には必要ないような豆知識だろ(笑)。ハス作品では「砂時計」と言う映画も最高なので是非ともお勧めする(砂時計も前にレビューしているので気になる方はそちらを読んでいただきたい)。こちらは何故か紀伊国屋で発売されているのだが、BDではなくDVDのみである残念だ。あれほどまでに映像が美しいのは4Kで見たい位だ。

この作品でやはり印象的なところを挙げると、神父様と尼僧ヨアンナが教会の中で会話していて、彼女が扉から外へ出ようとした瞬間に憑依された悪魔が出てきて、神父を敵対して会話する場面は圧倒的で、カメラワークもわりかし長回しで、ヨアンナを演じた女優の表情が凄すぎる。そこから外で、複数の白装束に身を包んだ修道女たちが戯れているショットも挟まれ強烈なインパクトを残す。それから外を整列して進行する尼僧たちの上半身をとらえた固定ショットで被写体がどんどん進んでいくあのシーンは凄い興味深く印象的である。特に次のカットで、鐘の音が鳴り続けている中、暗い影からどんどん尼僧らが歩いてくるのをクローズアップするのは素晴らしい。まじで芸がある撮り方してる。そんで悪魔払い映画お決まりの、清水をかけて騒ぎ始める教会内のシーン、ヨアンナがブリッジした後の顔の寄りは破壊力抜群だろう。

そんで、白装束の尼僧らが教会に十字姿で寝そべる頭上ショットはすごい絵面である。どこまでも律動感あるモンタージュによる独自の映像美を作り出していて、興奮しっぱなしの105分である。にしても監督の夫人でもある主演を務めたウインニッカは凄まじ女優である。あれほどまでに強烈な印象を映画に叩きつけるとは恐れ入る。長々とレビューしたが、この作品はぜひとも見てほしい1本である。ただ配信や、レンタル(渋谷のTSUTAYAはVHSがあるが)されていないため、中々リーズナブルには見れないが…いっそのこと紀伊国屋のDVDを買うか、角川から発売されたBDを買うかしてみて欲しい。
Jeffrey

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