平野レミゼラブル

くれなずめの平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

くれなずめ(2021年製作の映画)
2.1
【くれなずむ町の光と影の影の方】
ミニシアター系列の青春邦画はかなり打率が良いって印象がありまして、結構な秀作を輩出している気がします。ただ、この手の映画は個人的に「出来が良いのはわかるのだが、刺さる刺さらないで行くと刺さらない」って感情になることが多く、そのため感想は当たり障りなく、そしてスコアも平均よりちょっと良い辺りをウロウロって傾向が強いんですよ。
それは「俺の青春ではないが、誰かの青春ではある」ってことでして、だからこそ他人のレビューってのが一番当てにならないジャンルでもあります。前評判と観た後の感想が乖離しまくるワケでもあり、青春映画って結構な博打だよなってのは常々思うところ。



ここまでダラダラ凄く言い訳がましいこと書いているのは、実際本作が「とてつもなく自分に合わない青春映画だったから」ということへの言い訳だからです。試写会で観せてもらってこんなこと言うのもなんですが、ごめんなさい。後半スッゲェーキツかったです……
何というか「これは俺の青春ではない」にプラスして「とことんノリが合わない」ってのと「観ていて恥ずかしくなる共感性羞恥」が併発している感じなんですよ。

サラッと作品内容を書くと高校時代に帰宅部でつるんでいた5人の仲間たちが、5年ぶりに集まり、友人の結婚披露宴で余興をして盛大にスベる。そして、二次会との間の時間を持て余しながらそれぞれ青春時代を思い返していく……というアラサー回想系青春映画です。
……ポスターを見たところ仲間たちは6人じゃないかって思うかもしれませんが、実は6人のうち1人は既に他界しており、にも関わらず他の5人は(+彼らの仲を知る人も)彼がまるで生きていてそこに存在しているように振る舞っていきます。誰が亡くなったかってのは冒頭の内に察することはでき、実際その後そこまで時間を置かずに明言されますが、幽霊とも幻とも言い難いその存在が中々独特で不思議な雰囲気を持っています。
感覚としては『佐々木、イン、マイマイン』に近しく、「一人の仲間を起点に回想していく」、「仲間達は放課後無為に過ごしている」、「出演者に藤原季節」といった要素が被っていますね。

その5人…いや6人の集まりってのは基本的にはホモソーシャル全開で、高校時代から変わらず身内ネタだけで盛り上がっているような感じなんですが、まあこの時点で既に「俺の青春ではない」ではあったんですよね。
なので、そこまで感情移入ってのはし難かったんですが、それでも長回しを多用して間延びした感じの内輪ノリがリアルだったり、画面外の面々の動きが透けて見える感じでその雰囲気は中々良かった。

一方でアラサーの役者陣が回想シーンでもそのまま高校生を演じる違和感ってのはかなり強く、時折挿入されるナンセンスな演出も含めて劇団向けって感じる部分も多いです。まあ実際、元舞台劇だったそうなんで納得なんですけど…
それでも、高校時代の違和感はもうちょっとどうにかならなかったのかって思いは強いです。『佐々木、イン、マイマイン』とかは不思議とそこまで気にならなかったんだけどな…特に若葉竜也は髭を剃った方が良い。

何より舞台から映画になった影響で強烈な違和感となった部分は、有名俳優の客演部分ですかね。カラオケボックスに乱入する城田優に、タイ人だかベトナム人だかわからないおでん屋の滝藤賢一、職務質問する警官の岩松了といった面々が全員突如現れた異物って感じで浮きすぎていました。
特に滝藤賢一はただでさえクドい部分のある存在感が、その意味不明な役回りも相俟ってクドくなりすぎています。監督曰くシリアスに寄りすぎた流れを緩和させるコメディリリーフとのことですが、正直笑いどころになる以前にドン引いてしまった……


とは言え、ここまではあくまで「俺の青春ではない」の範疇ではあったんですよ。
メインとなる6人の俳優の演技も巧いから、とことん合わないけれどその掛け合いを楽しむことができましたし。唯一舞台版から続投した目次立樹さん(主な活躍の場は舞台のようですが『アルプススタンドのはしの方』の茶道部顧問役と映画でも活躍されています)も良い具合に馴染んでいましたね。

ただ、死んだ仲間の兼役が出てきた辺りで雲行きは一気に怪しくなり始め、続く心臓マッサージからのガルーダ降臨辺りからは前衛的かつナンセンスなノリに正直置いてけぼりになってしまいました…
何が駄目だったって、試写会後のトーク聞く感じ監督もその場のノリで一連のシーンを挿入してきたところなんですね。ブッ飛んだ発想を突如入れてくるにしても、ある程度共通したフォーマットじゃないと観ているこちらとしてはスッゲェー気持ちが醒めてきちゃうんですよ。物語としては佳境に差し掛かったところでブッ込んできたそれは、ベトナム人の滝藤賢一の比じゃないくらいに浮いていたし滑っていた。

そして、それらをある種メタ的な視点から「理解不能なもの」、「ダダスベりするもの」と断じ、それでもウルフルズの『それが答えだ!』を流して「理解不能なもの」、「ダダスベりするもの」を「俺たちの青春!!」として肯定するってのは…うーん、これ言っちゃったら何もかもおしまいですが「小賢しい」の一言ですね……
何というか、「これは俺の青春じゃない」ってのは俺個人がそう納得する分には全く問題ないんですけど、製作側が「これ多分君の青春じゃないけど、それでも俺の青春だから」って言い出しちゃったら駄目なんだと思います。そんな変に予防線張らずに、もっと堂々と「俺の青春はこれだ!!」って宣言すれば良いんだと思う。

でも、そんな予防線張った上で「俺の青春!!」と宣言するのは、実に作中の6人っぽいなって感じもありつつ、そうは言いつつも本当にこういう見せ方は勘弁して欲しいなって俺の気持ちも事実であり……
いや、俺自身が言い訳がましく、小賢しい言い方になっちゃったら良くないですね……ハッキリ断言するならやっぱり本作駄目だと思う!!
全く同じ状況を同じように再現していくシーンとかの美点もあるんだけど、それ以外のスベりを言い訳しながら自己肯定するシーンを前にしたら別の形でこの演出観たかったなって気持ちが強くなっちゃったし。

くれなずむ町の光と影の中、光の照射を思いっきり間違って、却って影がクソデカくなりすぎた感じの作品です。