ながみ

竜とそばかすの姫のながみのネタバレレビュー・内容・結末

竜とそばかすの姫(2021年製作の映画)
1.2

このレビューはネタバレを含みます

音楽に、歌に、こんなに人の心を動かす力があるなんて。と驚かされることになった。
つまり、内容はさておき歌と映像美には心を動かされかけた、ということだ。
必死で(これは物語性とは関係ない…!)と言い聞かせていた。
歌と絵でもっている映画だ。この星は全部その2つであり、ストーリーの酷さがなければもっと高くできた。

これは映画館で見なければ意味のない映画だと思う。映画館で感じられるものに魅力がある。映画館でなくてもいい部分には魅力がない。壮大な音楽と映像。それ以外は楽しいところがないというか、脚本のあらが気になってそれどころじゃない。

脚本には矛盾というか、「なぜそういうふうに心が動かされたのか」が具体的に説明されるシーンがまったくない。ご都合主義の塊のような内容。
確かに、深読みできないことはない。解釈できないことはない。でも、必要な部分が必要なだけ伝わってこない。
解釈せずに伝わってこなければいけないはずの部分が表されていないのに、伏線のようなものだけ増やして回収しきれていない。
おそらくやりたいことを詰め込みすぎたのではないだろうか。
家族のことも解決できていない。(向き合うことを避けていたのになに今更信じてたんだ面して現れているんだ?父親)
被虐待児たちがどうなったのかも表されていない。(おそらく保護されるなどになったのだろうけれど、それは描かなきゃいけない場所じゃないのか?)
そもそも、なぜBelleが竜に惹かれたのかもわからない。惹かれ合った(というか、互いに孤独な存在であることを感じあった?)理由がよくわからない。
乱入してきた相手に「あなたは誰?」なんて繰り返し聞くな。壊れたラジオか?
すべてが薄っぺらく、「このシーンがやりたい!」のためのご都合主義に感じられた。

常に内容には白けながら、圧倒的な映像美と音楽。心を動かされかけたり、冷めたり、忙しなかった。盛り上がる!となりかけたところで、脚本の精度の低さにスッと現実に戻される。

ついでに言えば、舞台が高知県である必要性もない。単なる、「田舎でなんか風景もいい」舞台装置である。
高知県出身なので見たことのある風景が美しく描かれていたのは嬉しく思う。
けどまあ、土佐弁もないから高知…?だし、多分伊野あたりの田舎から市内の高校へ…?みたいな…ここに関しては私の理解不足かもしれないが、違和感は拭えなかった。
(後日追記)
伊野から市内へはまあわかるが地形的にも時間的にも沈下橋は通らない。実在の都市を使うのだし、風景を優先するにしたってなあ…という感じです。

映像と音楽は本当に良かった。でもそれは映画の評価に直結はしない。
もちろん名作とされる映画の中にも映像美で選ばれるものはあるだろうが、そこにはまず脚本は見ている側に違和感を感じさせない程度のものであるということが必要だと思うし、少なくともこれは「伝えたいこと」があって作られた映画だ。
ならば、脚本はもっと練られるべきじゃないだろうか。
映像美と音楽だけですべてが良くなるのならこれは映画である必要がない。MVでいい。

もちろん、虐待児のこととかは主題と関係ないだろ!そこを描けっていうのは他に描きたい部分を魅せるために仕方ないだろ!と思う方もいるとは思う。ただ、これは世の中に存在することなのだと考えたとき、映画という虚構を通して「リアル」の何かを伝えるべき役割はあるはずだ。
少なくとも、あんな軽い描き方をされていいものではない。私はそう思った。キャラ設定の要素の一つではなく、もっと丁寧に拾い上げられるべきものじゃないだろうか。
どうすれば救えるのか、少女の心意気だけではなく、それを見送る大人でもなく、現実的にどうすればいいのかも提示することが必要じゃないだろうか。
児相らしきところに電話するシーンはあったが、あの対応を見ては信用度も下がる。そして鈴が二人のもとにたどり着いたあと、どうしたのかこそ描くべきだろう…。

いやもう本当に…見ながら色々突っ込みたいところだらけでした。多すぎて突っ込めない。
ながみ

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