◆Story
高知の田舎町で父と暮らす17歳の女子高生・すずは周囲に心を閉ざし、一人で曲を作ることだけが心のよりどころとなっていた。ある日、彼女は全世界で50億人以上が集うインターネット空間の仮想世界「U」と出会い、ベルというアバターで参加する。幼いころに母を亡くして以来、すずは歌うことができなくなっていたが、Uでは自然に歌うことができた。Uで自作の歌を披露し注目を浴びるベルの前に、ある時竜の姿をした謎の存在が現れる。
◆Infomation
『おおかみこどもの雨と雪』や、アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされた『未来のミライ』などの細田守が監督を務めたアニメーション。企画・制作は、細田監督らが設立したアニメーション制作会社・スタジオ地図が担当する。
◆Review
細かいアラを探せばいくらでもあるのだが、そんなこと以上に根本的に本作はやろうとしていることとやっていることがかけ離れている。
メッセージとしては「匿名社会の人たちとも繋がることができて人と人は助け合える」というものを描こうとしているのだろうが、結果的に「衆愚」を描いてしまっている。
というのも、クライマックスで散々竜を叩いていた大衆が、そばかす姫が素顔を晒し、歌を歌うという「向こう側にも人がいる」というもっともらしい演出や物語で手のひら返しをし、転じて竜を応援する側に回るにもかかわらず、彼らは結果的に何もしないというのは、竜のプレイヤーの子が「虐待を可哀想に思う人間」として軽蔑していた存在そのものである。
さらにいえば、すずの周りの人間も指示厨ばかりで物語を楽しんでいるだけだったり、すず自身も一人で無意味に家に行っただけで、なにもしない。
しかも、もともと特定は悪だという描き方をしていたのに、一転して特定を用いて彼らを救おうとするのである。結局ネット上での繋がりにおいては特定をすることでしか成り立ち得ないのである。
このように、描こうとしていることの割に全てが皮肉に見えてしまうので、後半は終始グロテスクに感じてしまい、引いていた。
さらに浮き彫りになるのは母との対比である。すずは後半になって自分が無償で竜を助けていることから、なんらかのバックボーンがあるから人は人を助けることができるということに気がつくが、大衆が母親を叩いていたことも含め、なんらかの”物語”や”演出”さえあれば人は感情を反転させることができ、人間なんてそんなものに過ぎないということを語ってしまっている。
よくよく振り返ってみると『サマーウォーズ』をはじめ、過去作も全て二項の対立を描いていたが、片方はより詳細に語り、片方はそうでないという形で感じ方を変化させるように描いていた。例えば『未来のミライ』でも序盤では観客がただイライラするしかなかった癇癪が、実は彼の成長に一役買っていたということを描くことで、なんとなく意味のある過程だったと思わせているわけだ。
そう考えると、本作についても細田守は「人とのつながり」以上に「映像という魔法で人にはどういった感情も与えることができる」という挑戦を投げかけていたように感じた。
流石に音楽は非常によくできていたし、3Dの世界と2Dの世界の対比がIMAXで見どころのある要素になっていたことは、映画館でみるための意義として素晴らしいと思う。