ニューランド

1秒先の彼女のニューランドのレビュー・感想・評価

1秒先の彼女(2020年製作の映画)
3.5
☑️『1秒先の彼女』(3.5p)及び『アワー⋅フレンド』(3.4p)▶️▶️

ストーリー上、或いは作劇上で、時間や時間軸を自由に操り、しかしあざとさはなく、愛(や友情)について、観てて納得がゆくまで語り尽くした、佳作二本立て。本当に近来稀に見ると言いたいくらい、後味がいい。
『1秒~』。 20世紀末に、台湾映画のホープとして、その人工美や茶目っ気で日常の機微と奇妙さを取り出した才人の新作を、20数年振りに観るが、SFコメディになりそうで、無理のないナチュラルな人生観察の滋味に溶け込み⋅当ててゆく。タイトル(原題)を弄び男女二方向からの筋の読み取りで同じ場面が違う視覚で何度かくりかえされ、味を加えてく。ヒロインのコミカルなキャラと技に依存し、台北~地方都市~牡蠣名産の田舎と舞台も行き来し、因縁や自ら「変態」とも呼び得る程の拘りの、「自分捜し」「自己を愛せるようになって(、他者への愛へ)」「失くしたものとは」の、なかなか壮大な内的な旅の物語。幼少期からの回想や1年後の再会あるが、基本七夕バレンタインデーの前後数日間で展開し、人より何時もワンテンポ先取り速いせっかちで縁を逃し続けて30年、郵便局勤めのヒロインと、彼女は忘れてたり⋅気づかずも、共通事故と入院時の対応や偶然再会で彼女の事を想い続けて、本意でなくもストーカー紛いになりかけてもいる元同級生の男。彼の方は全てにのろく、タイミングを逃し外し続けてる。10年に1度?の天の調整決算が、七夕~の日にたまたま当たり、周囲の人⋅動物心身静止の1日を彼だけは動けるを与えられ、彼女はもう1日1人だけ静止させられ、特異な2日が生ず。その前後彼女を騙してる男を上手く成敗⋅自らも車事故の男は、自分以外は止まった当日、バス運転手の職がもたらした車内で止まった彼女をデートに連れ出してく大技。様々な写真を海岸で撮り、自分と同じタイプの彼女の父(失踪中)にも逢う。その後、彼は姿を消し、ヒロインは、手元に残った私書箱の鍵が合う場所を捜し回り、見つけて大量の手紙で、子供の時の互いへの手紙と宛先の約束、2人のその前後因縁を、思い出し⋅又新たに知る。そして、再々会が不意に、再会時と違い互いに事情知ってて、涙堪えきれずに。
回りながらのフォロー、バス行の大L空撮、スローや多勢の画面内人間の一斉で長い静止の実現(また、動きだしも)、常に歌や音楽、ラジオの「モザイクDJ」らの窓外現れ挑発半漫画的イメージ、2人切り換えての語りベース変換、ラストの浅めもスッキリ切返し、不器用人生も映画語り好きの主人公らの映画的壮大トリック使いながら、ベースは、正対避ける、斜め⋅90°変⋅小角度変繋ぎ、ら嘗ての人工的メリハリ´90年代作に比べ、地味で生活実感に根差した、コミカルでソクソク伝わる物。
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併映作『アワー~』は、ガン末期告知から亡くなる迄の2年間、それ以前3人が知り合ってからの10数年が、小刻みに行き来する複雑も染み入る組立てで、ニューオリンズ→アラバマの田舎町、の生活⋅仕事⋅友情⋅闘病が、フォローも回り込み含み⋅時にゆっくり寄ってったり⋅ドローン空撮に舞い上がるカメラワーク、手持ち揺れめも増えて⋅ジャンプカットや水面流れイメージも呼吸として来る、90°変⋅その切返し⋅どんでんの丹念⋅律儀なタッチ、室内茶色⋅夜の青⋅人工光の白らのトーン、絶えぬ様々流れ続ける音楽や歌曲の時代と空気フィット感、で綴られ、声高でなく、惰性なのか⋅度を越してるのか、周囲にも図りかねる、当の夫婦だけでなく⋅居候友人の、一体助力⋅痛み共有⋅子供たちへのもう1人の親化も自然な関係と生の流れ、が浮き上がってくる。2作とも映画にのめり込むというより、我が人生を思い起こし⋅併置させてく、少し冷めてのいい感じを持つ。
癌で亡くなる舞台俳優の妻、地方から世界を相手⋅駆け巡る記者となる夫、スタンダップコメディや結婚家持ちを願いながら、スーパー勤めのままの、舞台スタッフでもある友人。夫婦の間には、居てくれない寂しさからの浮気、異国での葛藤、等あるが、あくまでも互いを唯一の相手と愛し合っている。最初知らず妻を誘ってきた友人とは、いきさつ超えて、人柄から恋愛問題無しの、夫婦2人共の、真の親友となる。「人付き合い下手」で、偏屈で、生真面目過ぎる夫と、「臆病で」色んなことに踏む出せず、成功者と言えずも、夫婦⋅親子の緩衝材ともなり、柔和で心配りの友(、「いつも傍に」と言いつつも離れてく友人らの中、世話続く、黒人の女友達が、もう1人いる)。開放的で魅力ある妻も含め、3人は無条件に通い合う。そんな友人も自殺も考えた時あったが、旅先で声かけられ、「生きる目的掴めて、変わる時くる」と気付かされる。困窮時には居候もした事もあった友は、田舎に引っ込んだ夫妻の(永い)居候に今度は(仕事も放って)すすんでなる。病魔進行の妻、落ち込んだ夫、寂しい子供たちを支え続ける。妻の他愛ない夢も、無理して叶えるべく駆け回る。やがて、身体から精神にも病いが廻り、人が変わったようになる期に入る妻を、専門の介護士にメインを任せ、穏やかな静かな死の時間を3人で共有してく(瞬間を劇的な看取るよりも)。各々の時間にまた戻ってはゆく。


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