足拭き猫

愛のコリーダ 修復版の足拭き猫のレビュー・感想・評価

愛のコリーダ 修復版(1976年製作の映画)
3.6
二人だけがいる部屋がずっと舞台になっていて四畳半映画の元祖のような。途中で女中さんが酒を持ってくることはあるが、ひたすら定と吉蔵二人だけの世界だった。途中一度だけ迫りくる戦争を思わせる場面があってどうやら二・二六事件の描写。

元々定が性的なものに興味のあったことが最初に示されるが耳に刺青があることから、以前から水商売や裏世界に関わってきたことが分かる。それ以上の生い立ちなどが分からないので、なぜあそこまで求めたのか少々謎だったが、吉蔵はこうしてほしいという定の言葉を一度も拒否したことがなくて、定は原始的な欲だけでなく承認欲求も満たされたのだと思った。愛というには少し抵抗がある、ただただ認めてもらうこと。
二人で一体化したいという願望の極限まで行ったシーンとして障子越しにまるで定の子宮の中に赤子のように丸まる吉蔵のシルエット、本当に入っている訳ではないのにそのように見えた。

最初は余裕で楽しんでる風であるが吉蔵は徐々にしんどくなっていき、しかしさらにエスカレートすると死と隣り合わせの究極の快楽を覚えることに。結末を知っているだけにその場面がいつ来るのか、まだかまだかとたどり着くまで実はかなり長く感じた。この作品、というよりも実は脚本や写真を収めた書籍のようだがわいせつ罪で話題になっていたし、テレビで触れるほがらかな人柄の大島渚と作品のイメージとのギャップもあったが、同じようなシーンが何回も繰り返されるのでエロいよりも正直飽きてくることも。

欄干越しからの夕焼け空や、雪がそぼ降る場面、年期の入った木造建物の通りなどは昔の日本映画の美を意識した色合い、美術監督は戸田重昌という方とのこと、その分野ではかなり評価されているようだ。