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ボストン市庁舎のmgのレビュー・感想・評価

ボストン市庁舎(2020年製作の映画)
4.5
トランプ政権が執られるアメリカのなかに、「我々はトランプが体現するものの対極にある」と自らを断言する町があった。
フレデリック・ワイズマンは言う。「人々が幸せに暮らしてゆくために、なぜ行政が必要なのかを映画を通して伝えるために」本作を監督をしたと。

市民の半数を有色人種が占めるボストン市の市政は文字通り多様性に向かって展開される。それは、「LGBTを知ろう!」「お年寄りには親切に振る舞おう!」などと表面的に呼びかけて完結するものでは決してない。(いま日本で知ろうとするのは大事。でもそれがスタートラインに立てているかといえば…)

人種・ルーツ、障害、女性、環境問題、ケアを必要とする市民への永続的な仕組みの提供、貧困、ホームレス(またその内に含まれる若者やLGBTQのマイノリティ)、高齢者、医療現場、退役軍人と戦没者…歴史背景や生活文化といった側面から見て日本の環境とは大きく異なるイシューは多いと承知の上で映画の内容を振り返ると、それでも日本に点在する問題の数々と重なる社会的課題は少なくない。

そして、日本との明白な差異に開いた口が塞がらない。それら課題に取り組む組織そのものが、市庁であることに。
“多様性”の理解も、弱者を守ろうとする組織も、弱者を守ることを実行するための法も、教育も、こんなに堅実で建設的なやり取りのもとで積み上がってきたものなのか。

明瞭に示される市の予算と目的や意見交換が一般市民とのあいだに開かれる。その一問一答の、こう、磐石なこと!なにが問題で、なにが課題か。お互いを如何にレトリックにまくか、ではなく、確かに“積み上げていく”作業になっていること。

まだまだ捨てたもんじゃないかも、と、希望を感じる、そしてエンパワーされる4時間半でした。

ただ、Twitterでみたある批判のとおり、映画の構成はなるべくしてこの形になったのだと理解しつつも、時間と経済面で余裕のある、関心のある層にしかこの映画が届かないのだろうという形式になってしまっている時点で、既に特権のふるいがかかっているのが考えどころ。
もちろん、こんだけ長いドキュメンタリーであっても見てるものが全てではないはずだから、手放しに感銘を受けている場合ではないとも釘を刺しつつ。