阪本嘉一好子

ボストン市庁舎の阪本嘉一好子のネタバレレビュー・内容・結末

ボストン市庁舎(2020年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます


ボストン市役所の実態を公表する?ワイズマン監督はボストン人だとはいえ、ボストン市は随分寛大で透明化を目指しているが向こうみずじゃないかと思った。最終的には市長が映画撮影の契約書にサインをすると思うが、訴訟の社会だから、ここに出ている市役所職員全員や参加している全市民にも許可をもらっているんだろう。撮影側としては撮影前の準備が大変だなと思った。市役所側はミッションを公にしたり実態調査をされているわけだが、監督が要請するものに許可しなかったのは何か調べてみる価値はあると思う。個人的見解だが、市長は、ブードバンク、退役軍人の式、ホロコスト記念での10000ドル寄付の場、グッドウィルでの感謝祭の食事、NAACPと などなどの催し、数多くの会議に出ていて会話をし、スピーチをしているように思える。 うっかり間違うとこの映画の主役は市長かと思うかもしれない。いいえいいえ、それは錯覚かもしれない。この市長は行動力があり、机上の空論を話しているわけではなさそうだ。

私は個人的に一つの問題に対する討論の部分を見ることが好きだ。だからこういう説得されない結果がまだ出ていないプロセスの段階を学ぶことで多種多様な考え方を学べる。話し合うことの大切さや意義がよくわかる。きっと答えが一つにならない課題で、未解決で交渉決裂もあるのではないかと察する。最近は上からの押し付けが増えてきて、嫌ならやめろとか話し合いなしという一方的な業界が増えているような気がする。この市役所ははっきり、資産は『人』だと示しているから、とことん話し合って進める場こそ、意見の相違はあっても市民と役所が一体になれる場である。

市長の哲学や人柄などを全てのスピーチや会話から察すると、微笑まない、草の根運動家、労働者上がり、映画で貧困地域と言われているドーチェスター(Dorchester)の出身で人生の苦難を知っている。以前より多様性に富む市政をと過渡期の状態を撮影されている。だから、あっちこちの場に顔を出している(もちろん招待される)と思う。もう一つは勝手に想像するが監督の見解だと思う。監督の撮影したいところに市長がいたと言ったほうがいいだろう。毎朝、市役所のアジエンダを見て、きっと撮影するわけだろうから、たまたま、監督の撮影したいところが、市長の行くところと一致したのではないか。あくまでも推測。

個人の経験から:学校組織でもいえるが、伝統的で、トップの校長は生徒や学生のアクティビティーにはほとんど全部参加する。スピーチをしなくてもいいから、存在感を示したり、催しに参加している全生徒によくやってるねと声をかけて賛美する。しかし、近年、校長にもよるが、ビジネスライクで、金や評判に結びつくアクティビティーしか顔を出さないしスマホによく目がいく校長もいる。ウォルシュ市長は人とコンタクトを大事にする前者のタイプだと思う。

ボストン市庁舎に戻ると、市長のスピーチで気づくと思うが、彼は必ずと言っていいほど、自分の経験を入れている。彼はスピーチスタイルのの基本を知っている。アリストテレスのレトリック(エトス、パトス、ロゴス)を心得てる話し手だ。例えば、自分をアル中だったことを認めていて、そこから抜け出したと言ったり、子供の頃、癌でその治療を受けていたなどと真実だと思うが、個人の苦しみを場に応じて市民と共有し、何かあったら、市長室に連絡したりや道端でもいいから声をかけてくれと言ってる。

このドキュメンタリーで、驚いたことを一つ挙げる。まず、ボストン市内の裕福そうな地域でだが、ゴミをまとめて整頓して出している地域にいき、収集車はゴミ集めをしている。可燃ごみ、不燃ごみが一緒に、リサイクルできそうに思うが、分別されていない。ボストン市はこのような収集の仕方をする(隣町はまるっきり違うかもしれない)。2020年以前のフィルムだが、現在はもっと環境問題を視野に入れてゴミ分別化をしていると思うが。(後で調べてみよう)

これはボストン市だけに限らないことだと思うが、若者、特にLGBTQ+や、ホームレス、有色人種などに力を入れている。特に若者や女性、少数民族のビジネス、教育育成、格差(Disparity)是正にも力を入れているように思える。一般に大都市から郊外に引っ越して家族を作るイメージだったが、この市は公立学校とチャータースクールを含めてすでにキャンパス以外の場所を教室としているようだ。だから生徒の入学数がもっと増えているので、教室の新しい確保が必要なようである。次のミーティングで早期解決方法が見つかるといいね。少数民族の中小企業をサポートするミーティングである中小経営者が契約がハネウェルのような大会社にまわり、市は中小企業に寄り添っていないというようなことを言っている。ここが構造的・制度的人種差別(Institutional racismORsystemic racism)なのだ。これが後半のNAACPのマイケル・カリーと市長の話し合いでマイケルが市政に押しているところなんだよね。ここが大切なんだよねえ。

好きなシーン:
一番興味があったところはスモックショップ(キャナビス・大麻を売る店)をドーチェスター(Dorchester市長の出身地)のウォルグリーンという薬局スーパーの近くに開けるかどうかを市民に審議しているところだ。90%は有色人種であり、刑務所経験もある人たちが住んでいるし、このウォルグリーンは誰でも行く薬局スーパーで少年少女に悪影響を与えるとか、アジアのビジネスは私のような(黒人)人は雇わないから、このコミュニティーのビジネスにはならないとか。(二人のアジア系ビジネスマンはアクセントから察すると中国系)ある女性はアジア系をステレオタイプ化しないように上手に質問していた。それに、この地域には西アフリカ人、ケープ・ヴァーディからの移民が多く、語学がわからないからこの場にいないとか、住民投票で結論を出せるかなどなどと質問が出るなか、今まで踏み潰されてきたけど、ここは自分達のコミュニティーだから何度も話し合おうと。ここに誘致したいビジネスの一人は興奮気味にもなり(このアプローチはまずいなあ!!)、コミュニティーメンバーも白熱化していた。この討論(戦い?)は最高だった。(暇をみて、大麻の店ができちゃったか調べてみよう。) その後、地元活性化のため、アメリカン・フード・バスケット(AFB)という地域のスーパーマーケットとの店主と市との会話が出てくるが、地元が経営しているマーケットとアジア系の新参者が地域に入ってこようとしている大麻のショップとの対比がいいね。

州がキャナビス使用を認めると、ある町は大麻の店が貧困層や商店街が多くあるところにできる。環境悪化になるのでどこもが賛成しないと聞く。学校とこういう店との間はマサチューセッツ州では600フィートあけなければならないと。大麻とはいうが、クッキーやキャンディの中に大麻が入っているのもあるので、若者がアクセスしやすい。

圧巻:
映画の締めとして、NAACP(エヌ・ダブリュエイ・シー・ピーと発音する)のマイケル・カリーとの会話とBSOでの?式の市長の祝辞、これも好きだった。 市長はマイケル・カリーとの会話でかなり(見解の違いからくるものなのか、おどおどしていた?マイケルとの会話に緊張感がある?)かなり吃っていた。疲れていたのかもしれない?
私としては市政の根本を変えようとするマイケルとバンドエイドタイプのアプローチをする市長の二人の見解に興味があった。(二人は一致してるが、二人の考え方の根本にずれがあると思う。これはあくまで私感だ。)
マイケルは社会正義に力を入れ、行政の構造的・制度的人種差別における格差を変えて行かなければという考えの持ち主で、ボストンや全米の社会構造を根本的に変えていきたいと考えている。例えば、一般市民と貧困の人々の健康の差について、偶然に貧困に、そして、自分で貧しいままでいると考えてる。『貧困の人たちはただちょっといい健康な食品を食べるだけなんだよ。でも、そういう食べ物にアクセスすること、チャンスがるあること、そういう公正性などの概念を理解できていないんだ』と言っている。歴史は重要で、何が悪いかどうすればこれからどうすればいいかも学べるが、こういう人々は歴史を勉強していない。ハーバード大学が近くにあるから、スキップ・ゲイツ教授たちにコミュニティーに参加してもらうことにより、こういう教育をボストンの各地区にアウトリーチできると。
市長はNAACPのメンバーを警察、看護婦、消防署などの市の要職につけると発言している。極端にいうと有色人種の雇用を上げて、行政の多様化を図りたいという結果を数字で出したいのだ。『マーケティング』という言葉の使い方からもわかるように、 NAACPの力は戦略に必要だということだ。市長が社会正義の雄弁者、マイケルの意見取り入れ、行動力をコミュニティーにと。

一言:
市長の家族が一度も顔を出してないのが不思議だった。
『臭いものには蓋をしろ』という姿勢がないのが良かった。

ボストン市と日本のxx市の行政では大きな違いがある。あくまでも私感でそれを一つだけ書くと、ボストン市職員は市民へのOutreach(コミュニティーに入っていく姿勢)がある。友達の言葉を使うと『フットワークが軽いね』である。日本のxx市の職員は制服を着て、名札をつけて、市民と職員を二つに分けるカウンターの中で縦社会にいるから、一般市民のいる外に手を伸ばしにくい。市の実態を表しているドキュメンタリーをいくつか見るのも職員にとって、いいかもしれない。