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クライ・マッチョのkazataのレビュー・感想・評価

クライ・マッチョ(2021年製作の映画)
5.0
イーストウッド御大の祝・監督50周年記念作品という本作ですが……あれ!?イーストウッド監督作品が大好きな日本なのに公開後の評判も動員もイマイチっぽい??(オミクロン株の拡大のせい?)と心配になったので、早めに映画館に駆けつけウォッチ!
(Filmarksのジャンルがスリラー?笑)

予告編を見た時点では、『グラン・トリノ』や『パーフェクト・ワールド』といった感動展開に『運び屋』的なノリが混ざった物語かな……なんて思っていましたが、、、いやいや、もうね、驚きました!ってか、本作はイーストウッド監督が築き上げてきた映画史の集大成にして"大事件"と言ってもいいレベルじゃないでしょうか!!
(『運び屋』のセルフパロディは最高でした!笑)

そりゃ、(早撮りで有名なイーストウッド監督だけども…)「セリフさえ間違えずに言えてたら一発OK」みたいなユルい感じのカット(一番いい演技だったのは…馬じゃね!?笑)が連発だったり、老齢ゆえのアクションシーンに物語とは関係なく無駄にハラハラドキドキしてしまったり、ってかそもそも物語展開自体のパワーが劇弱だったり、恋愛&成長の過程が大胆に省略され過ぎてたりするんで……ぶっちゃけ"気合いを入れて観に来たのに肩透かし感"を受けてしまう印象は否めずだから、観た人の評価が(例えば『グラン・トリノ』なんかと比べて)低いのも納得だけども。
(いい意味で"力の抜けた作品"だから、午後ローを見る感覚で楽しむべきかと…)
(あと、恋に落ちるおじいちゃんの顔で胸キュンできたのは本作が初めてかも 笑)

そんなわけで、途中から気楽な気持ちで観ていたら……ラストで予想外の大事件発生ですよ。しかも、その大事件級の出来事が、まるで何でもないことかのようにサラッと描かれてしまったので、感動を通り越して「マジか…」と絶句して震えてしまったよね。

先日見て大感動した『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は約20年分の総決算&集大成的な作品だったけども、本作はそれを遥かに上回る=90歳オーバーのイーストウッドが歩んできた映画人生がフリになっているわけで……エンドロールを呆然と眺めながら「まさか、こんな境地にたどり着くとは!」と静かに大興奮しちゃいました。


(以下、ラストシーンについて&なぜ衝撃を受けたか?について触れます↓)


自分は大学生の頃に、「イーストウッド監督とキューブリック監督(&スピルバーグ監督)を比較して、"古典的ハリウッド映画"を継承するのはイーストウッドで、キューブリック(&スピルバーグ)は"ポスト・古典的ハリウッド=アメリカ映画"である…」的なレポートを書いたことがありまして、(もろもろ映画史を踏まえた上で…)つまりは「イーストウッド作品は"古き良きアメリカなるもの"に根ざしている」と結論づけたんですね。
(ざっくり言うと、イーストウッド映画は古典的ハリウッド映画で最重要とされた"物語優位"なのに対して、キューブリックやスピルバーグ映画は"視覚効果優位"な傾向にある…って感じでまとめました)

つまり何が言いたいかと言うと、
保守的なイーストウッドが大切にしていた"古き良きアメリカなるもの"は既にアメリカでは失われてしまっていて、その"古き良きアメリカなるもの"(=例えば信仰、家族愛、牧歌的な暮らし、フォード等々…)をメキシコに見出してアメリカには帰らないという選択を、イーストウッド自身が監督&主演で体現してしまったんですよ!
(保守的なイメージだったイーストウッドがついにアメリカを見限ったことに驚愕しました…)
(スピルバーグの方がまだ頑なにアメリカを信じているように思えるのがなんとも…)

(昨今、何かと"保守"を自称してヘイトを繰り広げる人たちがいますが…)
本作で示された「保守=保って守るべきものは、国や土地や財産じゃなくて"誇り"や"尊厳"や"価値観"であるべきだろ」というイーストウッド御大からの力強いメッセージに、共感してシビれて震えたわけです!
("脱マッチョイズム"が語られたりと現代版アップデートの抜かりなさもさすが…)

そんなわけで、メキシコ人少年もイーストウッド爺さんも共に"開拓者"として新天地へ向かうところで物語は締められているんだけれども、まさにこの"フロンティア・スピリット"(開拓者精神)こそがアメリカの出発点なわけだから、そこへの原点回帰が描かれている本作は、やはり紛れもなく"古き良きアメリカ映画"として優れていると思います。
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