カツマ

クライ・マッチョのカツマのレビュー・感想・評価

クライ・マッチョ(2021年製作の映画)
4.0
その荒野の先まで畦道は続く。人生は難しく、老齢にしてもまだ生き足りることはない。いつしか始まった二人と一匹の奇妙な旅路。永遠に続くことはない時間でも、その学びの日々は永久に消えない礎となる。進むのか、それとも留まるのか。男たちは選択する。例えどんな道を突き進んだとしても、変わりゆく彼らの前には新しい国境が広がっていた。

クリント・イーストウッド、齢92歳にして未だ現役。2018年公開の『運び屋』以来の監督兼主演作となる今作は、マカロニウェスタン時代から脈々と受け継がれる遺伝子を、イーストウッド自身が身を呈して次世代に伝えているような物語。原作は以前から映画化の企画はあったが、なかなか実現に漕ぎ着いていなかったリチャード・ナッシュの小説から。実は1988年時点でイーストウット自身に主演の白羽の矢が立っており、作品の主人公の世代にようやく彼が追いついたことで再び日の目を見た作品と言えそうである。元ロデオスターの老人と無鉄砲だが親の愛を求める少年、二人の旅は淡々と人生のように進んでいった。

〜あらすじ〜

1978年。元ロデオスターのマイク・マイロは、かつての栄光も廃れ、調教師としての余生を送っていた。そんな彼に雇い主のハワードがある依頼を持ちかけてくる。それはメキシコに住む息子ラフォを母親のもとから連れ戻してほしいというもので、つまりは誘拐と同じ行為であった。ハワードが言うには、ラフォの母親は親としての役目を果たしておらず、自分のもとで育てたいということだった。初めは躊躇したマイクだが、ハワードには恩もあり、最終的には依頼を承諾。ラフォを連れ戻すため、メキシコに入国し、早速、ラフォが住んでいるであろう豪邸へと赴くことに。だが、そこにはパーティー三昧の母親がいるのみで、ラフォはどこにいるのか分からないとのことだった。息子に無関心な母親をあとにしたマイクは、その後、スラムで闘鶏に参加するラフォを見つけて・・。

〜見どころと感想〜

老人と少年のマイペースなロードムービーという趣で、イーストウッド作品らしい染み渡るような憧憬が魅力的な作品である。派手さはないが、説教臭くはなく、イーストウッドの立ち姿そのものが語り部となるかのような至高の一本。比較的予想はしやすい話だが、大きな破綻はなく、主題から逸れることのない作りは、ドラマ映画としてのシンプル・イズ・ベストを貫いてくれている。言葉が通じない文化の中でも人と人とは繋がれる。そして、それは愛おしいほどの絆にもなり得る発見。歳を重ねてなお、イーストウッドの作る映画は真っ直ぐこちらを見つめるような優しい瞳に満ちていた。

主演のイーストウッドはカウボーイを素で行くスタイルで、正に往年の彼のキャラクターがそのまま歳を重ねたような雰囲気に。乗馬のシーンではさすがの乗りこなしを見せたりと、彼の体躯に未だ衰え無し。90代にしてはあまりにも若すぎる男であった。共演にはラフォの父親役として俳優以外にもカントリー歌手として活躍するドワイト・ヨーカムを起用。彼の素晴らしい歌声を聴く機会がないのは残念だが、序盤のイーストウッドとの掛け合いは長年の友人のようで、淡々とした名演技を見せてくれている。

マッチョとは劇中に登場する雄鶏のことなのだけど、それだけの意味ではなく、人間の生き様そのものを表しているように思う。つまりは老人と少年が成長していく様を的確に模したタイトルということだろう。老いてなお巨大な生命力を宿したカウボーイが、生きる方向を失っていた少年に道を示す。それを100分ほどのロードムービーとしてのんびりと映画化したのが本作だ。ラストも完璧。一つ一つの言葉を咀嚼しながら楽しんでほしい作品でした。

〜あとがき〜

まだまだ主演を張れるイーストウッド、まさに貫禄の一本ですね。監督としての彼の色も分かりやすく反映されていて、派手さはなくとも骨太な人間ドラマを作れるのはさすが。静かですが退屈させないあたりもイーストウッド作品の特徴でしょう。

92歳になってしまったイーストウッドですが、人生の晩年という雰囲気にはまだ遠い?彼の主演作をあと何本かは観たい、と思わせてくれる作品でした。
カツマ

カツマ