今作で出てくるキモメンたちはロリコンではなく、真っ白なものは汚したくなるといった「支配欲」に支配されたモンスターだ。そのモザイク越しに目と歯を輝かせるモンスターたちの顔の数々は、男からしてみても吐き気と嫌悪感を覚えるもので結構見るのがキツかった。
でも正直なところ、その嫌悪感のうち5分の1程度は自己嫌悪に当たるもので、その「支配欲」は僕自身兼ね備えているものだ。
いや、多かれ少なかれ人間なら誰しも持っているものだと、僕は考えている。
この厄介な「支配欲」の類は現実生活を送る上では社会のルールや常識、道徳や倫理によってある程度抑えられている。また現実生活に比較的満足して暮らしていれば、そこまで「支配欲」が暴走することもないだろう。
しかしここ10年ほどの世界の変化は凄まじかった。その結果として「支配欲」を容易に発揮することができる環境が出来上がってしまったのだ。そう、「SNS」である。
現代、僕たちは現実世界とバーチャル世界、二つの世界の狭間で生きている。しかしその副作用として、現実では満たすことができない欲望をバーチャル世界において実現するという、人の表と裏の顔を作り出す事態を招いてしまったのだ。
また、「SNS」の特徴である物理的距離を介した匿名空間も相手の感情や意志を無視した己の私利私欲だけを優先するような"不健全なコミュニケーション"を作り出してしまったと言えるのかもしれない。
「SNS」はいろんな人と繋がることができるし、世界を広げてくれる素晴らしい場所でもある。でもその一方で、他者を精神的に追い込むことのできる欲望の吐き出し場としての機能を自動的に担うことにもなってしまった。
そんな「SNS」において、我々が意識できることとしては、理性と秩序を持ち相手の立場に立って感情を想像してみることだろう。今作でも自分の子どもと思えば、そんな野蛮な行為はできないだろう的な発言があったが、自分事に置き換えてみることで、そうやって想像することで、人は「支配欲」を鎮静化することができるのではないかと思ったりするのだ。
いや、果たしてそうだろうか。書いておきながら、なんだか違う気がしてきた。そう、誠に残酷ではあるが、人は相手の心情を想像した上でも野蛮な行為をしてしまえる生き物なんだと、思ったりもするのだ。
だから「SNS」と切っても切り離せない今日の世界を生きていく対処法としては、ヤバい奴から離れよう、ということくらいしか思い浮かばないのが現状だ。
でもこれはシンプルだし聞き飽きた文言かもしれないが、実践できているかと聞かれたら怪しいと思うし、改めて大事なことのような気もするのだ。
変だなと感じたら、関わらない。もし関わってしまったら、取り合わない。バカなフリして、距離を置く。忙しい感じを出して、逃げる。
そうやって、危険は避けて、好ましい世界を作っていこう。
今はそれくらいしか思いつかない。
でも幸いなことに、これからの社会はホワイト化が進んでいくと言われている。ヤバい奴は淘汰され誹謗中傷は減っていくだろう。
でも一方で、ここ最近の「SNS」の炎上案件を見る限り、歪んだ正義感を持ち出して特定の人物を執拗に攻撃する風潮も生まれているような気もする。
僕が見ているのはその一部だろう。別に対して取り合ってはいない。僕は基本的に自分が見たい世界だけ見るようになってしまっている。
だからこれからはいろんな世界が出来上がっていくだろう。その分、世界と世界がすれ違うこと、噛み合わないことも増えていくだろう。でもそんな時はみんな理性を働かせて冷静になることが大切だろう。そして世界のズレはそれほど嫌なものでもないことを知るといいだろう。ズレは自分に驚きや発見をくれるものなのだ。
<表裏一体の加害者と被害者>
今作で10代前半の女の子を演じた3人の役者は、見た目はかなり若いものの成人した女性である。
彼女たちは、キモい男たちとのビデオ通話をする中で、戸惑いや恥じらい、不快な表情を浮かべる。この彼女たちの表情は、演技とリアルの揺れを感じさせるもので、まさにドキュメンタリーのいいところが出ていて、なかなか見応えがあるものだった。
そして、これは言ってはいけないことかもしれないが、彼女たちはいくつかの瞬間、いくつかの表情から、どこか楽しんでいるような感じも見受けられた。
そしてこの彼女たちの女性特有の優位感と余裕感、それはどこか見覚えがあるものだった。
そう、「ハニートラップ」である。
これは誠に不適切な発言ではあると承知の上で言うが、僕には彼女たちがハニトラを仕掛ける女性たちに見えてしまったのだ。
大前提として、そう見えてしまったのには、彼女たちが役者であることが大きく関わっていると思う。演じることで彼女たちはキモ男たちとの精神的距離を一定に保っていた。困惑しつつも冷静な対応を可能としたと推測する(これが実際の未成年の若い女子ならトラウマでしかないと思うので、そこは語弊がないようにしたい)。
また、この映画の構成がまさに「ロンドンハーツ」のハニトラと通じるものだったのも、そう見えてしまった要因だろう。
彼女たちは男に年齢を偽り合成した裸体の画像を送りメッセージを重ねて実際に会うところまでいく。
そしていざ会ったら問い詰めて男の顔に飲み物をぶっかけて、家で待ち伏せして「私たちのこと何歳に見えますか?」と男を徹底的に追い詰めるのだ。
いや、男としてこんな恐ろしいことがあるだろうか。いや、別に男が可哀想とか、男の肩を持つわけではない。今作の過程を見る限り明らかに女性側は被害者であるし、男に同情する余地はない。極めて卑劣で最低なのは紛れもない事実だし、立派な犯罪行為であるのだ。
でも一方で、男の支配欲を刺激し、騙し、弄び、金を巻き上げるような、女がこの世には存在することも確かだろう。
僕は、ある側面では、ハニトラと性加害は表裏一体のところにあると思っている。
気づいたら自分が性加害者になっていたり、あるいはハニートラップにかかり被害者になっていたりすることもあるんだと思う。
男女の関係性は危険を孕んでいるのだ。
だからこそ、信頼関係を大切にしたいところである。