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Arc アークの湯呑のレビュー・感想・評価

Arc アーク(2021年製作の映画)
4.4
『愚行録』『蜜蜂と遠雷』で高い評価を得た石川慶監督の新作は、日本では珍しい長編SF映画である。原作は中国系アメリカ人のSF作家、ケン・リュウの短篇小説「円弧」。ケン・リュウは日本でも短篇集が何冊も翻訳され、是枝裕和監督の『真実』でも「母の記憶に」という短篇小説が作中作として映像化されていたのでご存じの方も多いかもしれない。
アニメやゲームと異なり、実写の国産SF映画となると我が国では非常に少ない。もちろん、『GANTZ』の様にコミックの映画化はあるが、小説、しかも海外作家の作品となると異例と言ってもいいだろう。折しも、アメリカのSF作家ロバート・A・ハインラインの名作を映画化した、『夏への扉 ―キミのいる未来へ―』が同時期に公開されており、日本の映画界に新しい潮流が生まれつつある事を期待させるが、残念ながら両作とも興行成績は苦戦している様である。我が国でもSF映画そのものへの需要はあると思うのだが、やはり日本人が主演する、となると歯が浮いた感じがするのかもしれない。
もちろん、日本の市場規模ではハリウッド並みの予算を掛けたSF超大作映画を作る事など不可能である。いくらCGやセットにお金を掛けても、ハリウッドには到底かなわないし、ビジュアルに凝れば凝るほど貧乏くささばかりが目に付いてしまうのはよくある話だ。従って、日本でSF映画を撮ろうとすればそれなりの戦略が必要となる。例えば、本作が時代設定を近未来に設定し、現実の景色をそのまま映画の中に取り込んでいるのも、そうした戦略のひとつだろう。これがもし100年後、200年後の未来だったら街の風景も人々の生活も今とは様変わりしているしている筈で、すると建物やら交通機関やら衣服やら何から何まで作り込まなければならず、膨大な予算と時間が必要となる。
しかし、不老不死をテーマとする本作では、主人公のリナが19歳から132歳になるまでを描いているので、物語上は100年以上の時間が経過していく。非常にスケールの大きい話である。これだけの時間があれば社会もドラスティックに変化していくだろうから、作り手にはその変化をどう描くか、という問題が課せられる。89歳になったリナを描く映画の後半に至って、映像がフルカラーからモノクロに切り替わるのは、こうした問題を回避する為だろう。時系列的には前半部から数十年後の未来を描いている筈のパートをあえてモノクロで撮影し、舞台を古民家の立ち並ぶ孤島(小豆島でロケを行ったらしい)に限定する事で、石川慶はまるで時間軸から切り離された不思議な空間を作り出している。この「時間軸から切り離された」という点が不老不死のメタファーである事は言うまでもないが、この様な戦略によって『Arc/アーク』は未来の世界を直接的に描かずに済ませているのだ。
とはいえ、原作小説は短篇という事もあり、即物的な描写は最低限に留められ、どちらかと言えば淡い印象の作品だった。しかし、それを長編映画として描く場合はやはりそれなりのディテールは必要とされるだろう。モノクロで語られる後半パートについては先述した和風レトロフューチャー的な戦略が功を奏し、非常に見応えのある映像になっているが、フルカラーの前半部分については、頑張っているとは思うものの、やはり貧乏くささが拭えないのが惜しい。
例えば、不老不死になる為には高額の施術料が必要である事に反発した人々が暴動を起こし、エタニティ社に押し寄せる場面など、もう少し迫力ある描き方ができなかったものか。何か学生運動でもやっている様な兄ちゃんが4、5人、工場の敷地みたいな場所をうろちょろしているだけで、リナはその兄ちゃんらに取っ捕まるのだが、別に暴力を振るわれる訳でもなく、ただグチグチと難癖を付けられるだけで、しかもその経験がリナに何らかの影響を及ぼす訳でもない。原作でも僅かに触れられているに過ぎない描写を、なぜここまで膨らませる必要があるのか分からなかった。死体を標本化するプラスティネーション技術の工程をコンテンポラリーダンス風に解釈したのは映像作品として非常に面白いアイデアだが、リナにプラステーションの才能がある事を示す為だろう、映画の導入部からよく分からないダンスシーンが始まるのも面食らった。そのダンスを観たエタニティ社の理事エマが「アンタ、若いのにいいもん持ってんじゃない。良かったらウチに来な」とリナに名刺を渡すところから物語は始まるのだが、こんな昭和の少女漫画みたいな始まり方をする映画が今どきあるだろうか。本来は老境に差し掛かったリナの回想という形式で語られる原作小説を脚色するにあたり、時系列順にエピソードを並べ、それぞれのエピソードを膨らませていったのはいいが、例えば後半に語られるリナの生き別れの息子のエピソードが非常に印象的なのに対し、ただ説明臭いだけで別に面白くもないエピソードが前半部に集中している。というより、そもそも前半パートが後半パートの為の説明臭い前フリに過ぎないのだが…
と、色々と惜しいと思うところはあるものの、『愚行録』『蜜蜂と雷鳴』で見せてくれた石川慶監督の的確な演出とシュールな映像美は本作でも健在である。残念ながら興行成績が振るわず、感想を書くのに手間取っている内に公開が終わってしまったが、機会があればぜひご覧頂きたい野心的な力作だ。
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