LalaーMukuーMerry

暗殺・リトビネンコ事件(ケース)のLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

4.0
タイトルの事件についてほとんど何も知らなかったから、事前にwikiで予習して鑑賞。
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けれど直接事件について描かれるのは最後の15分くらい。それもそのはず、彼が不審な死をとげたのは2006/11/23、ロシアの非協力的態度で事件の真相究明はほとんど進展しないままの2007年5月の作品だから。
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リトビネンコ氏の行動にかねてより注目していた監督(アンドレイ・ネクラーソフ)が、彼に接触して、暗殺前の5年間にわたり収録したインタビュー映像をもとに作られたドキュメンタリー。ロシアでの彼の経歴、彼の所属していたFSB(ロシア連邦保安庁)はどんな組織で、彼はそこで何をしていたか? そしてその長官だったプーチンがどんな人物なのかが語られる。彼の話の裏を取った現地での取材映像もその後に流される。
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つまり、これはどうやら本当の話のようだ。エリツイン時代の民主的な空気はプーチン登場によって潰され、FSBがかつてのKGBのように政敵を抹殺する、まるでソ連時代に逆戻りしているかのようなロシアの内情。この監督も当局に狙われてます(荒らされた彼の家の映像もありました)
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何故日本のニュースではこれをほとんど流さなかったのだろう? 私が見過ごしていただけ? じゃないよね。 金正男暗殺ニュースは連日やっているというのに。なんだか似てますよ、この二つ。
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キム・ジョンナム ⇒ リトビネンコ
キム・ジョンウン ⇒ プーチン
北朝鮮 ⇒ ロシア
マレーシア ⇒ イギリス
VXガス ⇒ ポロニウム210(放射性元素)
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**** アレクサンドル・リトビネンコ(Wikiより) ****
1962年生まれ
1988年、ソ連の諜報機関KGBの防諜部に勤務
1991年からFSB(KGBの後身)で勤務。テロ対策と組織犯罪対策が専門

1998年、上司からボリス・ベレゾフスキー(ロシアの新興財閥の総裁、当時の政界の黒幕)らの暗殺を命じられたが、拒否したと発表
1999年、逮捕、釈放、2000年まで3回の逮捕と釈放
2000年11月、トルコ経由でイギリスに亡命

2002年 「ロシア高層アパート連続爆破テロ事件(1999)はチェチェン人によるテロとされたが、実はチェチェン侵攻の口実を得るためにFSBが仕組んだ偽装テロだった。プーチンを権力の座に押し上げるのに好都合だった」と証言

2006年11月1日 ロンドンで食事後体調急変、病院に収容、23日死亡

11月24日、BBC放送の報道:彼の体内からウランの100億倍の比放射能を有する放射性物質のポロニウム210が大量に検出。英タイムズは、「動機、手段、機会の全てがFSBの関与を物語っている」 と指摘。英外務省は、駐英ロシア大使を通じ、事件関連情報の提供をロシア政府に要求。

2007年1月、イギリス警察当局は、リトビネンコ毒殺の容疑者を確認したと発表、FSB元職員ルゴボイを殺人罪で告発、ロシア政府に対し身柄引き渡しを要求。ロシア側は憲法によりロシアの市民の受け渡しは出来ないとして拒否。イギリスは抗議としてロシア外交官4人を国外追放、ロシアもその報復としてイギリス外交官を4人追放。

2007年12月、容疑者とされたルゴボイはロシア下院議員選挙に極右政党・ロシア自由民主党の候補者として立候補、当選。