秀緒

トロピック・サンダー/史上最低の作戦の秀緒のレビュー・感想・評価

3.1
録画してあったものを鑑賞。

冒頭ではやりすぎに見えた不謹慎ジョークの数々がストーリーの進行とともに無理なく掘り下げられてきちんと落ちるべきところへ落ちる。真面目に社会的背景と向き合ってジョークをやる姿勢に好感が持てる。「何も考えずに笑う」ための作品では決してない。

特に、ロバートダウニーJr.演じるオスカー俳優がアルパ・チーノとの対立を乗り越えてから、変装を脱ぎ捨てていくシーンはちょっとグッときてしまった。そうかと言って安易に人種や文化の差異を飛び越えさせることはしていないのが絶妙なバランスだと思う。「この村に残る!」と言った主演俳優が5秒後に重火器で追われてヘリに戻ってくる展開は、散々アメリカ人が東南アジア人を罵倒するのを見た後では痛快だ。

そもそもはメソッド演技(「俳優をクソの中に叩き込め!」)が元凶で事態が悪い方向に転がる話なのに、筋金入りのメソッド役者が最初に「これは映画じゃない」と言い出すのが興味深い。一方で、監督にアジられてその気になっただけのアクションスターはギリギリまで虚実の区別がつかずに映画の役にのめり込んでしまう。これは、メソッド演技に精通しているからこそ現実と虚構の区別やその仕組が分かるということなのかもしれない。アメリカはメソッド演技の本場だそうだが、だからこそ「メソッド演技は用法、容量を守って正しく服用してください」というようなメッセージを打ち出したのかもしれないと思う。

また、男性にとってのロールモデルを問い直すという視点で観ても面白いと思う。彼らにとっての原動力(の一部)は、映画や小説の登場人物や作者に憧れてそのようになりたいという気持ちだ。フォーリーフ(劇中映画の原作者)は撮影現場全体の憧れであり、だからこそ俳優陣を密林へ追いやることになる。彼の権威が失墜してからは、それぞれのキャラが新たに影響力を行使しようと争ったり、隠していた憧れを開示したりする。この過程は、ロールモデルというもののあり方(男らしさとは何か?それは人種や国籍などを超えて普遍的なものなのか?)を揺さぶっているようにも受け取れる。アルパ・チーノは黒人の視聴者にとってのロールモデルになりたがっているからこそ「俺は黒人を代表するためにここに来た」と言ってカークと対立する。しかし、彼は後になってタグのアクション映画シリーズの大ファンであることを明かす。このあたりの機微はフィクションの限界と可能性の両方を示唆しているようだ。

スクリーン上のロールモデルの問い直しという観点を持ち込むと、プロデューサーとその部下の描写も味わい深い。映画のラストシーンまで部下は悪徳Pの言うことに訳も分からず頷くだけだからだ。制作現場から遊離して金のことしか考えていない二人にお似合いの結末なのかもしれない。

ただ、アメリカ映画文化に詳しくない観客としては疎外感を感じる部分もあった。パロディ元が分かればもっと楽しめたと思う。結局、タグのマネージャーがなぜティーヴァーにあんなにこだわるのか最後まで分からなかった。

また、劇中映画「simple Jack」における知的障害の描写についての掘り下げは、人種差別問題に比べて物足りない。
秀緒

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