【理解したい。理解できなくても想像したい。他人事にしたくない】
マイノリティに限らず、他者のことを「理解」することは難しい。そもそも「理解」しようという努力すら怠るときがある。
本作はBL好きの腐女子・三浦紗枝(山田杏奈)がクラスメイトの安藤純(神尾楓珠)にBL本を買っているところを見られてしまうところから始まる。
紗枝は次第に純に惹かれていくが、実は純はゲイだったという物語。
紗枝と純の立ち位置は非常に複雑だ。
紗枝はBLが好きだが、序盤では純がゲイだということを知らずにいる。その事実を知ってからの胸中はぐちゃぐちゃだ。
純が好きなのは男だ。でも、誰もが経験しうる「結婚して子供を作る」という普通の幸せも手にしたいと思っている。そのためには女性と結婚しないといけない。でも、異性としては好きになれない。
ポスタービジュアルの爽やかさと相反して、本作のテーマは意外なほどシリアスだ。
そんなシリアスな物語がたどり着く2人の結論がとても良かった。
性別なんて関係ないじゃないかと言わんばかりの人間愛。
「私が好きなものはBLであって安藤くん」
「僕が好きなものは男であって三浦さん」
性差ではなく、それぞれが「あなた」が好きなんだという着地が素晴らしい。
紗枝が語る印象的な台詞「理解したい。理解できなくても想像したい。他人事にしたくない」
他者を「理解」することは難しいかもしれないけれど、「想像」することも「他人事」にしないこともできる。まさしくそれらを体現している。
本作の白眉は、紗枝が「私はBLが好きだ!!!」と表彰式の場で絶叫するシーン。本編2時間分の思いが乗っかってるからカタルシスが凄まじく、うるっと来てしまった。
もう1点面白かったところは、紗枝と純の物理的距離感だ。
本作は冒頭でソーシャルディスタンスという言葉が出てくる(マスクをしていないからコロナ収束後の未来の話なのかは不明)。その言葉通り紗枝と純の距離感に注目して観ると非常に面白かった。
美術部の控え室のような部屋で純が紗枝にゲイであることを釈明するシーンでは完全に2mの距離がある。
ラストのとあるシーンでの2人の距離感は上記で述べた「人間愛」が滲み出ているようで良かった。
最後にやはり山田杏奈さんはとにかく可愛い!!!
クイーンのドンドンパンのところもダブルピースのところも「可愛い」が凝縮されていました。
以下は個人的なメモ
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ホモは侮蔑の言葉
ただし摩擦は0にする。複雑なことは無視して世界を語りたくない。
好きだけど客観的。
0と1って受け攻め、はっきりしてるよね。
ラブとライクの違いじゃない。勃つ好きか、勃たない好きか。
なぜ普通になりたいんだい?
普通のセックスができなかった。
彼女が好きなものは、ホモであって僕ではない。
女の人と付き合うのは世間体のため?
理解者面したって実際に目の前に現れたら好奇心丸出しだったじゃねえか。
理解したい。理解できなくても想像したい。他人事にしたくない。
私はBLが好きだ!!!
私が好きなものはBLであって安藤くん
僕が好きなものは男であって三浦さん
→性別を超えて、あなたという人間が好き
安藤と三浦の物理的距離感の変化
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