JunichiOoya

葵ちゃんはやらせてくれないのJunichiOoyaのレビュー・感想・評価

5.0
いまおかしんじさんの正統派王道ピンク映画。
きっちり(ある意味無理くりに)濡れ場を「挿入」し、その申し訳よろしく些か強引なストーリーが展開する。
60〜70分の定尺ではなく98分の一般映画ボリュームというところだけ、(多分わざと?)お約束を踏み外してる。

幽霊とミューズ、そして彼らを囲む仲間たちが2010年と今(2019、20、21、22、23年)を行き来しながら果たせぬ夢の成就を目論むお話。
「今」として描かれる飲み会やらなんやらは、いわば亡きものを偲ぶ年次同窓会、法事。

私も学生時代は彼らと同じ「映研」だった。卒業後20年ほど経った夏祭りの時期に酔っ払った先輩が原付で自損事故を起こして亡くなった。(川下さんと違って自殺じゃないけど)
その葬儀の翌年から毎年お盆に皆で集まって飲んでる。=法事同窓会。
それまでも同窓会はあったんだけど、間が開く年もあったり…。でもあの年からは毎年欠かさず。(去年も緊急事態宣言の間隙を縫って五人だけちょちょっと集まった)

その飲みで、私たちは毎年彼の幽霊と邂逅している。この映画で出てくるシーンをほぼ敷衍する形で。

そこでもやっぱり「やらせてくれなかった」数々の想いが毎年話題になる。
それは「葵ちゃん」(のような「やらせて欲しい」お相手は男女を問わず各人に存在したわけで)がやらせてくれなかったことだけでなく、映画の中でいまおかしんじ役の「監督」の(まだ)やれなかったことでもあり、小槙まこさんのまだ歌いきれていないことみたいな事どもでもあったりする。

やらせてくれなかった、やれなかった、やらなかった、できなかった、を皆それぞれに静かに反芻しながら暮らしていくのよねえ。
それは懐かしみや自己撞着といった言い訳だけじゃなくて、結構辛口の現状認識や落とし前への、改めての宣言なのだと思ってる。

先に書いた時空の行き来の話。映画では2021年の前年と「今」を往復することで、意図的に2011年を避けて通っている。いまおかさんは去年『れいこいるか』で彼にとっての1995年の震災を描いてくださった。(泣かせていただいた)
今回はいまおかさんの2011年(震災と原発)ということになるんだろうな…。(やっぱり泣かせていただいた)

『くれなずめ』と重なるテーマでありながら、そこでは敢えて触れられなかった「時代」と「性」をいまおかさん流に提示していただいた傑作だと思う。

カメオ出演(に全くなってないが)の三上寛さんの中途半端さもうまたしみじみと良いね。

「ゾンビバンド」、傑作にならなかった理由を逆に知りたいぐらい、めちゃくちゃ面白そうな映画なんですけど。
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