平野レミゼラブル

コーダ あいのうたの平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

コーダ あいのうた(2021年製作の映画)
4.5
【愛を伝えるのに言葉は要らない】
(※『キネマ荘のうろんなひととき』という映画感想ブログを始めました。そのためFilmarksではネタバレなしの感想部分を引用し、以降のネタバレ有り感想はブログの方へリンクを貼るという形態にスタイルを変化します。まだ試行錯誤中ですがブログの方もどうかよろしくお願いします)

ここのところ『ドライブ・マイ・カー』『サウンド・オブ・メタル-聞こえるということ-』『エターナルズ』と聴覚障害を持つ人が出てきて、劇中の言語として「手話」が使われる映画を観続けたからか、演技技法としての手話が気になってくるようになりました。とはいえ、手話がわかるワケではなく、また手話も言語によって種類が異なるということなのでチンプンカンプンではあるのですが……(例に挙げた3作もそれぞれ日本とは体系が違う手話が使われている)
ただ、言語がわからなくても名優と呼ばれる人の演技が凄いことは伝わるように、手話による演技でも表現の凄さってのは確かに伝わってくるんですよね。例えば『サウンド・オブ・メタル』に出演しているポール・レイシーは健聴者ではあるものの両親が共に聴覚障害者で、物心ついた時から言語より先に手話で会話をしていたようで、非常に手慣れた形で演じられていたのが印象的でした。彼の役はもっと知名度のある俳優にやらせる案もあったそうですが、本当に手話で対話した経験のある俳優にやらせたいという監督の意向を汲んだとのことで、その試みは見事に成功したと言って良いでしょう。

そして、本作『コーダ あいのうた』はポール・レイシーのように聴覚障害者の両親の下に産まれた健聴者の娘・ルビーの物語となっています。彼女の家族は寂れた港町で漁師を営んでいて、漁に出るにも、組合と交渉するにしても“無線対応”や“通訳”をするルビーは必須。自然とルビーは家族に縛られることになって苦労が絶えません。
そんな中、合唱部に入ったルビーはこれまで家族が知る由もなかった「歌の才能」を教師から見出され、音大への進学を勧められます。しかし、稼業をルビーに頼り切りだった家族は大反対。ルビーがどうすれば、耳の聴こえない家族に自分の歌を届けて認めさせることが出来るのか…といった部分が重要になってくるワケです。

原作はフランスで観客動員数750万人を記録し、フランス映画祭2015で観客賞を受賞した『エール!』ですが、こちらは未見。ただ、本作も元に負けじとかなり巧くリメイクしたのでしょう。こちらもサンダンス映画祭で観客賞のほか、最高賞・監督賞・アンサンブルキャスト賞の史上最多4冠を獲得しています。
監督・脚本は『タルーラ 彼女たちの事情』のシアン・ヘダー。ルビー役はドラマ『ロック&キー』でレギュラー役を務めるエミリア・ジョーンズ。フレッシュな魅力と綺麗な歌声がこれからの活躍をも期待させてくれます。ルビーが密かに想いを寄せる同級生マイルズも『シング・ストリート 未来へのうた』主演のフェルディア・ウォルシュ=ピーロだけあって歌が達者。また、ルビーの家族は父フランク役のトロイ・コッツァー、母ジャッキー役のマーリー・マトリン、兄レオ役のダニエル・デュラント全員が実際に聴覚障害者です。

いくら家族で唯一の健聴者だからって娘を家に縛り付けてしまうとなると、一種の毒親とも捉えられかねませんし、実際そんなルビーの苛立ちは描かれます。しかし、本作で一番優れている部分は、作品内に絶えず溢れているどことなくユーモラスな雰囲気なんですよね。父親も母親も兄も全員耳は聴こえないし、家計も豊かではないけど明るくノンキ。そんなどこか憎めない家族の「手話」を通した会話が軽妙でコメディ映画のように笑える。
一方でルビーが唯一の健聴者である「異物感」や、自分の歌が両親に聴こえることがないという「断絶」も描く残酷さもしっかりある。そして、この断絶を乗り越えるルビーと家族の選択にはホロッとさせられます。

タイトルの『CODA』は「Child of Deaf Adults」の略で聾者の親を持つ子供の意味。楽曲や楽章の締めを表す音楽記号「CODA」ともかかっており、同記号は転じて「新たな章の始まり」の意味も持ちます。

愛を伝えるのに言葉は要らない『コーダ あいのうた』感想
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