フラハティ

女と男のいる舗道のフラハティのレビュー・感想・評価

女と男のいる舗道(1962年製作の映画)
3.9
一人の女が舗道を歩く。
タバコをくわえ、視線は男へと。


12のチャプターから綴られる、一人の女性ナナ。
女優を辞め、金に困り、ついには娼婦となった。

ゴダールが描く、舗道を歩く一人の女の人生。
1960年代はアンナ・カリーナ時代って言われてるらしいけど、本作の主演ももちろんアンナ・カリーナ。


夢や希望のために生きたり、愛のために生きたり、人生の選択ってまあ自由。
夢を追い続けるから最終的に成功するとか、愛を追い続けるから最終的に結ばれるとか、それはありふれた日常の景色じゃない。
挫折している人生だったり、失敗していると思われている人生であったり、成功している人ばかりが生きてる訳じゃない。

女と男のいる舗道では、多くの夢が散らばっているし、それを拾えるほどみんな器用じゃない。
どんな人生だって存在し、当事者の感じ方によってハッピーエンドともバットエンドともとれるんだ。


愛は唯一の真実か。
愛は常にそうあるべきだが、本当に愛するものを認識するには成熟と探求が必要。


破滅へと向かっていくナナは、ひたすらに絶望へと向かっていく。
けど、どこかで悲惨さが感じられないのはアンナ・カリーナの魅力であり、自由に生きているように見えているから。
どんな風に生きていても。
どう終わらせるかではなく、どう生きていくか。
娼婦としてではなく、ナナはナナとして生きている。
そこに正解はない。
どんな人生にも間違いはないから。
だからこの映画も、どんな風に撮っても間違いはない。
なーんてゴダールの自由な撮り方は、人生を決まった方向で縛り付けるのは止めようって言ってるのと同じことなのかもとも思う。
『芸術、美、それが人生!』だからね。

『裁かるるジャンヌ』で涙を流す姿。
"死は救い"か。
アンナ・カリーナめっちゃかわいい。
踊るシーンとか無敵やわ。
本作を観るだけでも、ゴダールがどれほどアンナを愛してたのかが伝わってくるね。

『ゴダールによる、アンナへの愛情と映画の芸術性について』
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