アラサーちゃん

女と男のいる舗道のアラサーちゃんのレビュー・感想・評価

女と男のいる舗道(1962年製作の映画)
3.0
ミシェル・ルグランの特集上映で、「女と男のいる舗道」を鑑賞する。監督はジャン・リュック・ゴダール。久々にゴダールの作品を観て思い出すが、私は確かにこの人の作品が得意ではなかったし、どうしてそう思うかって「ああ、こういうことだったな」ってこと。

のっけからマイナスなレビューで申し訳ないんですけど、私は得意ではないけれど、やっぱりお洒落だし良く考えつくされているしハマるとハマっちゃうなっていう映画。私はそのピースがうまく合わなかっただけで。ぴったり合う人にはきっと合うんです。

主役はナナ。以前は女優も志したことのある、フランス女性特有の気まぐれさというか、世間知らず感というか、いわゆる猫っ気のある田舎生まれのパリ娘。夢に破れ、日々の暮らしにも退屈し、いつしか彼女は娼婦となって道端で男から声を掛けられるのを待つようになる。
そんなナナをアンナ・カリーナが演じる。それはもう横顔のシルエットだけで惚れ惚れするほど美しいし、瞳のアップショットで瞬きされるだけで恋に落ちる。アンニュイに舗道でタバコを吸えばその煙に巻かれて目が眩むし、バーの二階でダンスを踊れば彼女の通った道筋に花でも咲いているのかと思う。さすが公私ともにパートナーであったゴダール、彼女の魅力的な瞬間を一瞬たりとも逃さない。すべての瞬間が美しい。

作品は12の構成があって、連作短編のようになっているが、ひとつひとつにさほどのストーリーは見られない。ただ、いくつか過ぎたストーリーのところで、「ああ、あそこで出会った彼とこうなったのか」と納得する場面はいくつかある。
確かに「女と男のいる舗道」というタイトルは言い得て妙で、「女」であるナナが佇み、闊歩する「舗道」には、恋人であれ、仕事のパートナーであれ、客であれ、元夫であれ、ただの通りすがりの他人であれ、必ず「男」がいる。当たり前のようなその世界観をピックアップする視点が面白い。

ゴダールの作品を観て思うのは、画面で切り取られない世界を想像させてくれる映画だな、ということ。四角く切り取られた世界の裏側に、横端に、私たちには見えなくともその世界が確かに地平線のごとく続いていて、人物たちの見ている世界が、彼らの瞳を通して見えてくるようだなってこと。
アップショットで映る男。真正面から静かに撮られているけれど、その視線の先はカメラから少し横にずれている。私たちの見えない世界を、彼はじっと見つめている。
次のショットでそれが窓辺に佇むナナの横顔であることを知る。この映画のラストを感じさせる、退廃的で気だるげな、心がどこかに遠くに吸い込まれて行ってしまったかのような表情。とても愛しい場面なのに。

そういう世界を感じると、やっぱり私はゴダールは得意ではないけれど、良い映画を作るなあ、と思ってしまう。カルト的人気を博しそうなラストも嫌いじゃない。
あれ、私、結構好きなんじゃん。