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Shiva Baby(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Shiva Baby(原題)(2020年製作の映画)
4.0
["それで、彼氏いるの?"という閉所恐怖症的空間の中で] 80点

2018年に製作された同名の短編映画を同じくレイチェル・セノットを主役に長編映画化した作品。"SHIVA(シェヴァ)"はユダヤ教において、葬儀直後の七日間、死者のために正式な喪に服す期間を指している。また、"SUGAR BABY"は性的な関係も含めた"パパ活/ママ活"をする若い女性/男性のことを指している。それら一見関係のない言葉がどうして合体するのかと言えば、シェヴァでシュガーダディに遭遇する主人公を描いているからだ。物語は説得力のない喘ぎ声をあげるダニエルを捉えた遠景から始まる。彼女のシュガーダディであるマックスはヒゲモジャでヒョロガリなインテリ系男子で、ニューヨークの洗練されたアパートに暮らしており、ダニエルは適当な嘘を付きながら彼から金を貰っている。事実として彼女には学費等の切実な理由などなく、彼女の言葉を借りれば"力を持ち感謝されることが楽しいから"マックスとの関係を続けている。

葬式、もといシェヴァは何もなくたって退屈で面倒なイベントだが、そこにやって来る客によっては最悪のイベントにもなりかねない。お調子者で"愉快な"父親と心配性でとにかく喋りまくる母親に連れられて、誰のものかも分からないシェヴァに参加したダニエルは、早速元恋人のマヤを発見して気まずい雰囲気になり、遠くでは母親が自分の仕事について口利きしてくれる親族を探して回り、最終的に面倒な両親によって最悪な形でマックスと再会する。しかも、彼の金髪美人で"完璧な"妻と可愛らしく泣き叫ぶ娘と共に。本作品の滑稽さは、過去と現在、虚構(演技)と本物、理想と現実といった、一人の人間の中に存在する多数のペルソナを一度に放出せねばならなくなるところだろう。コンピューターなら確実にバグってHAL9000みたいに暴走するだろうし、実際何度か殺意は湧いた。右に行っても左に行っても一生この家から帰れないんじゃないかという閉所恐怖症的空間で、これまでの人生の全てを知っている親戚たちは無神経にそれらをマックスにバラしていき、宗教と伝統の双方向から重圧を課していく。

ダニエルはマックスが5年前から結婚していて、奥さんが在宅で仕事しているのをいいことに不倫していたことを知って複雑な気持ちになる。湿っぽい感情そのものは空気の読めない両親による元気の押し売りによって限りなく薄められるのがせめてもの救いだが、所謂"仕事上の関係"だった相手に素性がバレたのもいけ好かないし、実は好きだった?いやそんなことない…などと繰り返すうちに問題まで複雑化していく。本人はマックスとの関係を上記の通りに総括しているが、その時々の判断が結果的に矛盾しているのが妙にリアル。

短編版ではいなかったマヤといキャラクターのおかげで、ダニエルの内面が一気に掘り下げられたように感じる。ダニエルは、久々に出会ったら開口一番に"彼氏おらんの?"と訊くような古臭いコミュニティに最早属していないのだが、良心を含めた親戚一同それに気付いていない。しかし、マヤ一人だけはそれを知っている。物語はマックスについてとマヤについて同時並行で走っており、後者は窒息しそうな物語の最終的な希望の光となっている。映画の中で一度だけ家から出るシーンがあって、その時に二人は再会して愛を確かめあうというのが、二人の物語が二人の属するコミュニティの外側に存在することを暗示している。

全員の物語が、全く事情を理解していないお気楽な父親によって露悪的な方向で回収され、その中でマヤとダニエルが互いに希望を見出していく。これを"文字通り"希望的と呼んでいいかは微妙なとこだが、取り敢えずあの家から出られたのは大きい。このあと渋滞にハマって『皆殺しの天使』のように第二ラウンドが始まる予感もする。
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