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The Public Image Is Rotten ザ・パブリック・イメージ・イズ・ロットンのshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

知らない人が本作のポスターを見たら、「あれ?デーブ・スペクター、映画出たの?髪切った?」と思ったりするのかも知れない。
ジョン、サンジャポに出て!



自分で思っている自分のイメージ。言うなればプライベートイメージ。
一方、他人が思っている自分のイメージ。こっちはパブリックイメージっつうんすかね。これらはきっと一致しない。
 自分(柴三毛)の場合、ハンサム、高収入、由緒正しい家柄等、さういうパブリックイメージを多くの人から持たれており、自分でもそれを重々承知している。しかし、自分としてはハンサムとは思っていなくて、顔がちょっとアラン・ドロンと似てるかなくらいなものだと思うし、高収入に関しても長者番付の下の方である。家柄も皇族と親類らしい気が日によってはするかもね、とかその程度である。にも関わらず、このパブリックイメージのせいで、自分とコネを作りたい大勢の人間が見え透いたおべっかで自分に取り入ろうとしてくるし、大勢の女性からは執拗なまでの性的アピールの連続で、ほとほと嫌気が差している。やはり何と言うか「誰も本当の自分をわかってくれないっ!」となる訳で、深夜、無性に寂しくなり涙を流しながら、ポルシェで首都高を走ったりしている。パブリックイメージ、つれぇー!

どれだけプライベートな自分を他人にわかってもらおうとしても限界がある。パブリックイメージのおかげで良い思いをできることもあれば、パブリックイメージのために苦しむこともある。
 さういう人間社会において、何ともコントロール不能なメディアやら群衆の作り出す化け物みたいな虚像の言葉をバンド名に冠した、ポストパンクにおける分水嶺というか草分けというかパイオニアと言えるバンド、パブリック・イメージ・リミテッド(以下、PiL)のヒストリードキュメンタリーガーエーが本作。
 そんな本作を、慢性的に下半身がPiL(ポコチン・インキン・リミテッド(注1))でポストパンクというかポストパンツ(赤いパンツ?)を履いた自分がその痒みを忘れ、脇目も振らず劇場に駆け込み鑑賞してきた。ボリボリ
(注1:インキンの痒みでちんぽこが限界、の意)
(近年のジョンのインタビューをネットで読んだら、「PiLってのは"People in Love"って意味もあるんだ。」と言っていたので、何かと融通のきく略称ね。)


そいで本作は、PiLの結成から現在までをスッキリまとめていて楽しく鑑賞できた。PiLは結局、発起人であるジョン・ライドンそのものということもあってか、映画はほとんどジョンのキャリアストーリーと言えなくもないやうに思った。
 バンド結成が1978年なので歴史も長く、時代の変遷と共にバンドが変わっていくのを時系列で見ることができるのも活動を俯瞰できて面白かったし、劇場にて大音量で楽曲を聴くこともでき、バンドの音楽を目と耳で堪能できた。
 映画で使われるインタビューについても、近年のジョンによるものやバンドメンバー達によるものが大半だったので良かった。
 バンド関係者以外のインタビューもちょこちょこ挟まれており、その中で印象的だったのは、ソニック・ユースのサーストン・ムーア。クールに淡々と話してて、「いけ好かねえ」と思ったけれど、クール風な割にPiLの話が止まらずあの話もこの話も、とボリューミーな感じでロック小僧感が透けて見えて好印象だったので、結局「いけ好かねえ」と思った。セカンドアルバムのMetal Boxが当時一部では「アンダーグラウンド版ホワイトアルバム」と言われていたとか、へぇーと驚いた。


映画で言及されていたけど、ジョンの人格形成には7歳の時に患った「髄膜炎」の経験が大きく影響しているとのこと。突然、意識不明の昏睡状態となり、命の危険もあったさうであるが、意識が戻ったとき彼はそれまでの記憶を一切失っていた。学校も兄弟も両親すらもわからなくなってしまった少年が人並みとなるためにした数年に渡る努力は相当なものだったであらうし、記憶が無いことから人に対して信用・信頼というものに強く敏感になったとしても不思議ではない。
 ジョンの強烈なパーソナリティは、強烈な経験や強烈な生い立ちが基になっていたのだなぁと思わされる。


さういう強烈なジョンが人間関係においてもっとも重要視しているのは「誠実・信頼」なのだなと、映画を見ていて思わされた。金儲けとか便利とかではなく。
 バンド名の「リミテッド」とはよく名付けたもので、PiLはバンドでありながら、会社っぽいイメージも想定されていた。レコード会社や悪徳マネージャー(マルコム、あんたよ!)の言いなりにならず、自分たちでイニシアチブを持って活動する、というのはDIY精神そのものよね。ベンチャー企業みたいな。
 会社だからという訳でもないだらうけど、PiLは人の出入りが少なくない。どんどん辞めてどんどん入ってくる。さういう流動的な人の出入りを観ている内に自分はなんとなく昨今の非正規雇用とかを連想してしまい、「これじゃパブリック・イメージ・リミテッドというよりもパソナ・イメージ・リミテッドだよ!ジョン・ライドンというよりも竹中ライゾウだよ!」と劇場で一人インスタント左翼化(?)。パソナイメージ、つれぇー!
 辞めていくメンバーには、結成当初からいるオリジナルメンバーも含まれており、ジャー・ウォブル、キース・レヴィンといったカリスマ達との決別はバンドにとって計り知れない損失だったと思うけれど、ジョンは彼らと袂を分かつ。やっぱり「誠実・信頼」が絶対条件なのであらう。


メンバーも音楽性もどんどん変わりながら突き進むPiLだけれど、次第にうまくいかなくなったやうで、1992年活動休止。
 この活動休止期間中も、ジョンには色々あった。映画では、TVのバラエティ番組出演やバター会社のCM出演、孫の養育(義娘アリ・アップの子どもである双子を引き取った)なんかが映されていた。20歳頃から世界的ロケンロースターだったジョンにとって、いずれも未知の経験であらう。孫の養育はともかく、バラエティ番組出演とかは結構思うところあったでせう。当時、日本でも少し話題になって「ジョン・ライドンだうしちまったんだ?」と自分は驚いた記憶がある。
バンド活動再開の為に資金が必要で、その資金確保をバター会社のCM出演で達成したとか後々判明して、やっぱりジョンは大したもんだなぁと自分は感心した。あと、この休止期間のことで言えば、ピストルズ再結成やソロアルバムとかもジョンにとって大きな出来事だと思うけど、PiLの映画だからか特に言及は無かった。
 2009年にPiLが活動再開するまでの18年間、ジョンの中で色々変化もあったのだらう、と自分はわからないなりに想像する。乱暴に言うと、丸くなったというか成熟したというか寛容になったとかさういう感じなのでは(←完全に自分の妄想)。映画のインタビューにてルー・エドモンズが「あいつ(=ジョン)も変わったよ。」としみじみ喋っているのをみて、自分の中で妄想はより確信に。
 2009年以降、PiLは結成以来もっとも良好なバンド状態(メンバー的にも経済的にも)と言われているのもひとえにジョンにとって信頼できるメンバーに囲まれているからなのでせう。よく覚えていないけど、映画の中でのジョンの発言で「(2009年以降のバンド状態について)バンドメンバーと対立していない状態が普通なんて驚きだ。」(うろ覚え)みたいなのがあったと思うけど、今までいかにギスギスしていたかを伺わせる。有能なマネージャーであるランボーの存在も大きいのであらう。


若い頃のジョンはギンギンにとんがりまくっていて近寄りがたさが半端じゃない。インタビューなんか観ていても不躾な態度で強烈な嫌味と皮肉を平気で言いまくる。…しかし、カッコ良い!もうホントに最高にカッコいい!ルックス、ファッション、ライブのパフォーマンス、言動、何もかも完璧(1976〜1981頃)。自分は20歳くらいの頃「なんで自分はジョニー・ロットンに生まれてこんかったんや…」とオーストラ…四国は田舎の片隅で意味不明に悩んだ時期もあった(?)。
 それが、還暦を過ぎた最近のジョンを見ると、近寄りがたさが和らいでいるやうに見える。ぶくぶく太って、皺くちゃになって、奇天烈な髪型をして、はちゃめちゃな服を着て、ゲップしまくって、所構わず痰を吐き、べらべら喋りまくるイカれたオッサン。近寄りがたさは和らいだかも知れないけれど、そもそも関わり合いたくないと思わくもない。「ジョニー・ロットンに生まれてこなくて良かった…」と20歳頃の自分もホッとしているかも知れない。つれぇー!


映画の本筋とは関係ないけれど、PiLが初来日(1983年)するくだりのシーンで、海外ミュージシャンの来日においてプロモーターとミュージシャンの間で交わす契約条項に、「ポール・マッカートニー条項」(今もあるのかは不明)なるものがあると知り、興味深かった。
 薬物に関する条項とのことで、海外のミュージシャンが来日した際に、ミュージシャンが薬物所持などで逮捕され、来日公演ができなくなった場合、金銭面の損害賠償はミュージシャン側がすべて負う、といったものらしい。例のポール逮捕の件でできた条項のやうである。
 PiLの初来日直前当時、ドラッグ漬けだったキース・レヴィンが薬物でやらかす可能性はかなり高かったさうで、結局この条項の存在がキース・レヴィン脱退の遠因か一因になったと見れるかも知れず(Commercial Zone云々が脱退の決定打としても)、ポールがPiLに影響を及ぼしていたと思うと面白い(無理矢理過ぎるか)。


映画はめでたしめでたしで終わっていたけれど、ジョンは今最愛の夫人ノラの介護に付きっきりとか、ピストルズのドラマに関してメンバーと裁判までして結構大変さうである(裁判はジョンが負けたみたいね)。けれど、ジョンはきっとしぶとくやっていくに違いない。


有名人に対して我々大衆が抱くパブリックイメージは幻想。パブリックイメージは便利だけれど、その一方で、いい加減でデタラメで不正確で、事実とかけ離れていさうである。何かに対してパブリックイメージを持つと、その何かをとりあえずわかった気になり謎の安心感を覚える気がする。その安心感は危険に違いない。
 反対にパブリックイメージを持たれる方は嘘八百のイメージを守らうとしたら最後、ただただ消耗していくのでせう。パブリックイメージもほどほどが一番!
パンクに対するパブリックイメージ。
ピストルズに対するパブリックイメージ。
ジョニー・ロットンに対するパブリックイメージ。
PiLに対するパブリックイメージ。
ジョン・ライドンに対するパブリックイメージ。
「誠実・信頼」に重きを置くであらうジョンが、自身のバンド名にパブリックイメージという浮薄に他ならないこの言葉を冠したのは挑戦的であると思う。「俺は自分のやりたいやうにバンド活動をやる。お前ら(我々ファン)はパブリックイメージに惑わされず囚われず、俺の活動に付き合い続けることができるか?やれるもんならやってみろ!」(←完全に自分の妄想)
パブリック・イメージ・リミテッドの名の元、ジョンと我々ファンの試練はまだまだ続く。




自分が10代のウルトラアホだった頃、雑誌で読むジョンのインタビューから随分勇気を貰った。
ジョン「他人からだう思われやうと関係ない。自分で考えることが大切だ。」
しかし、自分はジョンという存在に自分の願望を投影し、自分の人生に自分が不在のまま幾星霜を過ごし、慢性的な下半身PiL(前出、注1)のポストパンツ中年になってしまった。ジョンの言っていたことをまったく理解できていなかったなぁとしみじみ思う。ボリボリ
 10代の頃ウルトラアホだった自分は、中年になりハイパーアホになってしまった。このままいくとインクレディブルアホになってしまうであらう。それはそれで楽しさうだけれど、しっかりせんといかん!と思いながら、股間の痒みに苦しみつつ、ポルシェ…は無いのでJRに乗って劇場からの帰路についたところ、電車内で隣に居たご婦人から「ちょっともし、アナタのお顔、”アラン・ドロン”と言うよりも”あら?泥?”という感じね。」と突然、失礼千万な罵詈を浴びせかけられ、男泣きの初秋。ボリボリ



パブ三毛 イメージの一句
「デスディスコ 私の股間 デスディスコ」
(季語:股間→柴三毛→冬)
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