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お茶と会議のdm10foreverのレビュー・感想・評価

お茶と会議(2016年製作の映画)
3.6
【アールグレイ】

1919年、イギリス。
とある部屋では様々な政治的な問題を話し合う会議が行われていた。
そして議題に挙がったのは「女性政策」について。

戦争で各分野において活躍した女性は、もう家事には戻りたがっていない。
女性たちは「意欲」に目覚めたのだ。

「では彼女たちに「やりがい」を見つけさせればいいんじゃないか?」

でも育児、洗濯、料理、もうそんな事では彼女たちは満たされない。彼女たちは戦争時にも男顔負けの様々なことをこなしてきた。

「じゃあ美人コンテストとか、女性らしさに焦点を当ててみては?」

女性はあくまでも男が与えた世界の中で生きているものなのだと、あくまでも男性上位の目線で物事を話すお偉いたち。
その会議で給仕を行っていたマーガレットはいたたまれない気持ちになっていく。

「もう分割統治しかない。女性は付け上がらせると怖いからな・・・」
あくまでも女性が活躍する社会を想像することが出来ない男たち。

堪りかねたマーガレットは堰を切ったように思いのたけをぶつける。
何も言えない一同。

これって1919年の話だからと笑えるだろうか?
むしろ100年経っても結局何も変わっていない、いや様々な経験をしているという事を考慮すれば、寧ろ後退しているとすら言える馬鹿げた状況。
そういった意味では、昨今の「ジェンダー問題」と絡めてみても興味深いテーマだと思う。

ただ「1919年のイギリス」という背景はそう単純な話でもないところが深い。

1919年と言えば第一次大戦が終わり、各国が「戦後復興」というキーワードの下に、内政の強化や建て直しを行っていた時代。
しかし、戦争の影響で各国の経済は疲弊しており国民は戦後の生活に大きな不安を抱えていた、そんな時でもあった。
イギリスは兵力の増強という名目で植民地から大量の黒人を「イギリス軍兵士」として雇い入れていた(引っ張ってきたというほうが正しい)。
でも、戦争が終わり、イギリス国民が日常生活に戻ろうとしたとき、連れてきた黒人の処遇に困った。
彼らがイギリス人として労働を始めれば、その分だけ白人が職を失うことを意味するから。
いつしかイギリスを含む英国圏では、黒人に対する「人種差別」的な抗議運動まで起きるようになっていった。

つまり、当事のイギリス人男性(白人)は、戦後の混乱に乗じて自分のステイタスが奪われていくという目に見えない恐怖に怯えていたんですね。

それは黒人や女性という、今まで自分よりも下だと勝手に位置づけていた人たちからの「無言のプレッシャー」とも言えるものだったのかもしれません。

今作では「女性」が社会進出をすることを疎ましく思いつつ「それの何処がおかしい?」という能天気なお偉いさんと、それを冷ややかな目で見ている賢い女性という構図をコミカルに描いていましたが、実はこの構図はイギリスだけの話でもなければ男女の問題で終われる話でもありません。

つい先日退任したドナルド・トランプ前アメリカ大統領が打ち出していた「移民抑制政策」も、突き詰めればこれと同じ事をやっていたんですね。
21世紀にもなってです。

「差別」や「排除」でしか守れないステイタスは内部から腐っていきます。
男性であれ女性であれ、白人であれ黒人であれ、一人ひとりが個性を尊重されなければ本当の意味での「成熟した国家」とは言えないですよね。

そういうものを日々見せられて「何だかな~」って感じながらこのショートフィルムを観ると、本当に人間って救いようのないバカな生物なんだなって身に染みて実感しますね。
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