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すべてを背負ってのdm10foreverのレビュー・感想・評価

すべてを背負って(2017年製作の映画)
3.6
【やさしいラクダ】

あまりにも感受性が強すぎる人間はこうなってしまうのだろうか・・・。
職場の上司からの耳を塞ぎたくなるような罵声は、彼の中で何度もこだまし続ける。

一晩寝れば、お酒を飲めば、友達に会ってバカ騒ぎすれば・・・

彼にはそれが出来なかった。

彼は孤独の中を生きていた。
彼に向けられた「言霊」は受け取ることは出来るのに、吐き出す先が何処にもなかったのだ。
やがて、膨張する「吐き出せない悪意」は『黒いリュックサック』というメタファーとなって彼に圧し掛かる。

最初のうちは「それ」を隠すこともできた。
何とか自分の中で消化(昇華)することも出来ていたのかもしれない。
しかし、見る見るうちに大きくなっていく「黒いリュック」は、もはや隠しきれないところまで来ていた。それは彼の心のキャパシティが限界に達していたということ。
やがて彼はリュックを隠そうともせずそのまま過ごすことに抵抗もなくなっていく・・・。

そんな中、彼が目にするのは野生のラクダのドキュメンタリー映像。

「野生のラクダは希少な哺乳類の一種です。ラクダはとても暖かい心を持っています」

優しいからラクダは砂漠でも人間を乗せて歩く。もしかしたらあの背中のコブはラクダが心に溜め込んで吐き出せない(心の叫び)が詰まっているのかもしれない。

そして「ロートルダム・ド・パリ(今の邦題は「ノートルダムの鐘」)」のカジモドの姿が痛々しく響く。
家族からも「怪物だ!」と罵られながらも、心優しいカジモドは鐘楼の中で20年間も鐘をついて生きていく。



この物語の中に『ノートルダムの鐘』を入れた意味がどうしても引っかかった。
それは別に「見た目のメタファー」なんて事だけじゃないような気がした。

それを強く感じたのはラストシーン。
もうどうにも背中の荷物の重さに耐えられなくなった主人公は街中をヨロヨロと彷徨い、ついには道の真ん中で荷物に押し潰されて下敷きになってしまう。

朝、目が覚めた彼は道路で倒れていた。
しかし、彼の背中にあったはずのリュックは跡形もなく消えていたのだ。

(夢だったのか・・・?)

でも、思ったんです。
彼の「割れた眼鏡」は実際に彼が押し潰されて倒れたということの象徴。
つまり「イメージ」として彼を縛り付けていた「黒いリュック」は姿を消したけど、その物自体が彼を支配していたという事は想像の話ではなかったという事の裏返しでもあると思ったんですね。
そして、その黒いリュックという「イメージ」が消えて、割れた眼鏡という「現実」が残ったという事が、もの凄くリアルに感じるんですね。

結局、彼は解放されていないという事ではないのだろうか?

そう思ったとき、フロロの死によって解放されたはずのカジモドは幸せに生きることが出来たのだろうか・・・と色んな思いも過ぎった。
ある意味では「現実」を突きつけられる怖さも感じてしまう作品でもあったきがします。
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