走る画、滑走する画がとても素敵。
音も含めて引き込まれる。
すっと見てられる。
住みよさそうだし風光明媚という言葉がしっくりくる、街の風景も魅力的。
走る行為が治療、闘いそのものだけど、逃避でもある。
和雄はそれを理解しているから葛藤があるんですよね。
「反復の中でも周りに視野が行きわたり、なんとか意味を見出せる状態」を、私たちは健康と呼んでいるんですかね。
体がシャキッとして心拍数高い時って、嫌なことにも目を背けず、思考が回ってしまいます。
正方向に動いてるんだけど心は苦しい状態になる。
危うさとさわやかさが同居した心が出来上がってくる。
辛い記憶、めっちゃ蘇る。
運動してる最中とかシャワー上がった時とか。
…すみません、ほんっとに絶望している時の個人的な感覚です。
カメラを長く回して、演者の仕草や言葉をそのまま流し続ける形、大好きです。
俳優の皆さんの動き、語りも白眉で。
しかしその台詞の中身がどうにも。
まず説明的で、作為が感じられてムズムズする。
画の流れ、においては説明し過ぎず、余情と想像を喚起することに成功してると思うだけに。
そして何より男性の役割語がとてもキツかった。あえて、なのかな。
この作品に限らず、私は実写映像に役割語は不要だと思っている節がありますが…皆さんどうなんでしょうか…
あとは中途半端な音楽の挟み方…走る音が良いのになあ。
いっそ最初と最後だけで良いのでは、と思いました。
…珍しくケチをつける分量が多くなってしまい困惑してます。笑