カラン

三人の女のカランのレビュー・感想・評価

三人の女(1977年製作の映画)
5.0
かなり強烈だった。監督のロバート・アルトマンがベルイマンの『ペルソナ』に影響を受けたということで、この映画であっているのか知らないが、見てみた。おそらく『イメージズ』もチェックすべきなのだろう。

シシー・スペイセクを始めとする全ての登場人物が共感を拒んでおり、呆れるか、ムカつくか、気持ち悪いか、いずれかである。シシーが異常な執着を示すシェリー・デュバルは瘦せぎすで目も大きすぎて飛び出しており、男の目にどうしたら魅力的に映るのか?ということしか考えていない陳腐な物質主義者で、実際、周囲の男たちには煙たがられているが、さらに鬱陶しいことに、本人は自覚がない。そんなシェリー・デュバルに、シシー・スペイセクが執着し、後をつけ、一緒に住み、日記を盗み読み、勝手に服を着て、悪びれもしない。このように、かなり長々とただただ不愉快な話が続くのだが、シシーの自殺未遂を契機にストーリーが一気に動き出す。

この映画のタイトルは三人の女となっているわけだが、この3人の主体は、父と母と子という聖なる核家族という鋳型を嵌められているようなのである。シシーの自殺未遂はエディプスコンプレックスにおける去勢であり、その後のシシーの実父と実母の老人たちの哀れっぽいセックスまで含めた長大な幻想を経て、シシーは子になるのだ、シェリー・デュバルの!つまり、シェリー・デュバルは父となるのであり、そうであればまた新しい母も必要となるのだろう。あの絵を描き、子を産み、亭主は銃の暴発で事故死したとかいう、あの女、ジャニス・ルールが、母となるようだ。

つまり、三人の女は、個体としては変容するが、エディプス的核家族の三つ組という役割は固定されており、「シシー+シェリー+男」から、「シシー+シェリー+ジャニス」となることで、変わったのはどうも特定の役割を演じる役者だけなのである。父親の役が、実の父から、この間まで同性愛的な関係を作ろうとしていた職場の同僚に移り変わっただけということなのだろう。

こういうことは、普通、自我の粘着のせいで思いつかないものなのだが、ロバート・アルトマンは非常に強靭な思考力で、冷徹に、自由自在に、エゴの配役を、操ってみせる。混乱させること、混乱を経て、退屈でつまらない私という閉域を解体して、新しく編み変える、ということをこの映画は狙っているのだろうか。勇気と知性が求められる映画だと思う。常人では考えもつかないような作品となっている。

なお、シシーの幻想シーンは極めて残酷で美しい。
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