yoshi

ひまわりのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

ひまわり(1970年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

「ひまわり」と聞くと、私の周りの若者たちはドラえもんの映画主題歌を思い出すそうだ。日本は平和だ…と感慨深くなる。私のような年配は「ひまわり」と聞くと、この映画を思い出す。枯れてうな垂れた向日葵の花を見て再見。あの有名なテーマ音楽を聴いただけで、パブロフの犬のように条件反射で涙がこみ上げて来るのは、私だけではないはずだ。

悲恋ものの王道パターンではあるが、映画の最初は幸福なシーンから始まる。
一目で恋に落ち、活き活きとした表情で甘い新婚生活を楽しんでいたある夫婦。

徴兵の際、戦争に行きたくないあまり、精神疾患を装った為、軍部の怒りを買い、夫は最前線に送られてしまう。

駅での夫婦の別れに、涙してしまう。
あの駅のホームの長さ、列車が消失点に消えていく様は、構図の美しい絵画のようだ。

もはや生きて、再び会えるのかどうかさえ危うい…
その予想通り、いつまで経っても夫は戦地から帰ってこない。

戦地へ向かった夫の帰りを待ち続ける妻。
この待ち続ける期間の生活が、とても地味で華が無く、新婚生活とのギャップが激しい。

この夫を待ち続ける貞淑な妻というのが、我々日本人の感性に美しく映る。
積極的なイタリア男性が妻役のソフィア・ローレンのような美しくグラマラスな女性を放っておく訳がないのだが?

既に結末を知っているだけに、今見ると「待たなくていいよ、自分の幸せを掴めよ…。」と妻に語りかけたくなってしまう。

終戦後、夫がソ連で消息を絶ったという話を聞き、ひとりで現地へ向かう。

夫を探す途中、ロシアの広大な平野に、地平線まで広がるひまわり畑を訪ねる。

美しい花畑の下には無数の戦死者が眠っているという話が哀しくも切ない。

一輪一輪のひまわりが、戦死者の墓標を表しており、妻は「夫もここに眠っているのだろうか?」と不安を隠せない。
耐えきれず、ひまわり畑を逃げ出す妻に、再び涙。

残酷な戦闘場面ではなく、戦死者の亡骸の上に咲き誇るひまわりの話だけで、戦争の悲惨さを表現する名シーンである。

引き離された主人公夫婦の物語もさることながら、戦争という背景にはこんな哀しい話が無数に隠されているに違いない…。

妻ジョバンナは、夫のアントニオがロシア人女性と結婚し、しかも幼い娘まで生まれていたという残酷な事実を知る。

夫が生きていたことは嬉しい。しかし故郷に帰らず、自分を忘れて生活していた衝撃!ソフィア・ローレンの見開かれた瞳、妻の心中を察してまた涙。

夫に罪はあるのだろうか?と言えば、それは問えない。自分の命を救ってくれた女性への恩返しが愛に変わったのだから。戦争中、戦闘放棄した脱走兵が簡単に国に戻れるはずもない。

アントニオへの想いを断ち切り、新しい結婚生活を始めたジョバンナを、今度はアントニオがロシアから訪ねてくるが…。

二人が出した結論にまた涙…である。

人間は常に前を向いて、生きていかねばならない。
どこかで過去に踏ん切りをつけねばならない。
そして今、目の前にある日常に対して、背を向けて、停滞していては、自分だけでなく周りの多くの人を不幸にしてしまう。

常に太陽の方を向く向日葵の花は「前を向いて生きろ、光ある方向を向いて」という監督のメッセージかもしれない。

向日葵の群生を見るたびに、私はこの映画を思い出す。
そして向日葵は終戦記念日が近づくのを知らせるように、夏に咲き誇る。
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