よしまる

かそけきサンカヨウのよしまるのレビュー・感想・評価

かそけきサンカヨウ(2021年製作の映画)
4.2
 なぜか今年に入ってから洋邦、時代を問わずやたらと「本当の親探し」な映画に出くわす。

 それだけ普遍的なテーマであるのだろう。そのどれもが、親の都合で本来享受すべき愛にふれることもままならず、自分の境遇と必死に向き合っている子どもたちを描いておりなんともいたたまれない。

 だがここで見ず知らずの親を責めても仕方がない。親には親の事情がある。しかしフィクションにせよ実話にせよ、そうした環境に置かれた子どもたちがどのように生きていくのかをいかにして描くのかがわざわざ映画を撮る意味だと思う。

 その観点で今泉監督の寄り添い方は見事だった。当たり前のように父親の身の回りの世話をしていた主人公の女子高生・陽に、新しく現れた継母と、妹となる連れ子のひなた。
 心臓に病を抱え大好きなバスケを諦めた陸とは、互いになんとなく抱えている欠損部分を補うかのように惹かれ合う。

 70年代、80年代に社会や家族、そして自分自身に怒りをぶつけていた若者はここには居ない。現在よりも未来を見据え、自分よりも他者を気にかける。
 陽は本当の母よりも新しく母となる女性との関係を気遣い、大好きな異性にさえ自分の好意を押し付けない。
 陸は思うように生きられない自分を憂うどころか、留守がちな父や厳しい姑からそんな子供を守ろうとする母親を慮ることを優先する。

 ぶっちゃけ自分の学生時代を思い返してみても、家族のことなんてロクに考えてなかったし、それはとても幸せであったことの裏返しで感謝しかないわけだけれど、それでも今のZ世代の若者たちが家族や社会に対して思慮深く過ごしているのを見ると、どこか窮屈な感じがしてしまうのはなぜだろう。

 決して悪い意味ばかりではない。他者を思いやる優しい子どもたち、すばらしいと思う。
 けれども、どこか閉塞感を持って社会に出て子を産み育ててきた大人たちが、子供たちをそんなふうにさせているのではないか?ということ観ながらずっと考えてしまっていた。

 水に濡れると花びらが透明になる「山荷葉」。他者とぶつかり傷つくたびに、次第に存在が薄らいで消えゆくような陽や陸のような若者とどこか重なりつつも、その透き通るような純粋さこそが、尊く美しいものだと、今泉監督が伝えてくれているように思えた。
 答えなんて、なくていいのだ。