こたつムービー

夢の涯てまでも  ディレクターズカット版のこたつムービーのレビュー・感想・評価

-
すごい映画。

これはオリジナルが91年。
作家主義のアート映画、という括りがあるのなら、その麗しい時代の、終わりの始まりを告げてもいる。

構想長く、作家念願のSFって時点でやな予感は充満するもので本作も例に漏れないが、私は否定しきれない。280分もの完走も同時に求める作品だが、完走したものは(ながら見であれ)一様に何か噛みきれない塊りを弛緩しながら感じるはずだからだ。それに単なる「娯楽の等価交換」としての2時間を求める通常の映画ファンなら、この映画に触れようとさえ思わないだろうから。

こういう作品は以前はあったが今や絶滅危惧種であり、また、こういう作品はある程度以上の「信任」つまり実績なくば製作もあり得ない。

つまり作家主義の壮大作とはその存在だけでまずは「すごい」のだ。そしてオレはまったくキライになどなれない。この80s90sのアート感覚と普遍主義は正直「懐かしくて仕方ない」。だから終わりの始まり、と書いたが。
(なお地球の裏側ではウォンカーウァイが楽園の瑕を製作費超過でなんども中断しながら撮ってる頃だろう)


はー。やっと前置きおわり。
中身は少しだけ書く。


まずはなんと言ってもロビーミュラーの撮影美だっつーの。その映像を眺めているだけで気持ちいい。色気のある色と構図だ。

話は本当に分かれる。前半と後半が違いすぎる、という生真面目な感想もあろうが、映画の「弛緩状態」を知る者は驚かないでしょ。「地獄の黙示録」も「エルトポ」もヘルツォークの「フィツガラルド」も大好きな私は驚かない。起承転結の端正なドラマツルギーだけが映画ではあるまい。(この映画はホント、ヘルウォーク的だ。ドイツの系譜すら感じるわ)

や、むろん中盤だれるさ。そういう時はひたすら流しておけばいいんだよ。オレはごはん作ってたらかなり話が進んでたさ。笑

その「だれ」の起因は女優にもある。
主演女優は「天使の詩」でフックアップされた元編集ソルヴェーグ・ドマルタンだ。ヴェンダースのミューズ、と言えば聞こえはいいがつまりは「愛人」だろう。(推測ね。有名な話かも)だが、この要素はとても重要なんだよ。だって、


「この旅に付き合う職業俳優は
 どれだけ居ると思うんだ?」


という点。並の女優なら逃げ帰るだろうさ。
そんな意味でウィリアム・ハートはプロとしてすごく、サム・ニールもすごいんだっての。
話を戻すとこの「長丁場」はその者の才能を白日の元に晒してしまう。だから正直ドマルタンさんのポテンシャルも全て吐き出した。そういう映画なんだよね。


過去や自己愛から抜け出せなくなる。
それもポータブルな映像機器によって。

「彼女の唯一の心配は
 電池が切れることだった」

ーーこれら二部のモチーフはあまりに現代的だ。そこに現代の「スマホ」を出すまでもないだろう。土着の生き方を(白人は)結局できない。交流するのみだ。放射能汚染された未来で、親もなく、せめて(サムニールが背負う)見守る愛のなか、自身の中毒を見つめてゆく。そんな映画だ。そしてU2が流れてこの映画は終わる。



※どっちを観たかわからないので2タイトルにコピペする。他の方への、少しでも参考になれば幸いに思います。