Anima48

ディア・エヴァン・ハンセンのAnima48のレビュー・感想・評価

3.6
アルバムの1曲目は僕にとってすごく大切で、まだ音楽を聴くのにCDを手に入れるしかなかった時は、曲が始まってからの15秒ほどというのは賭けに近かった。1曲目好きだとアルバム全部好きになってた気がする。大好きで毎日のようにバスの中で聞くようになる曲になる曲もあるし、あまり聴かない曲もあったりするけど。

オープニングの1曲目が良くてもうこの映画が大好きになりかけた。疎外感・現状変えたい、変えなきゃってプレッシャーがポップなメロディで歌われる。内気なのに訴えたい気持ちを表現するのは、歌を台詞のようにも使えるミュージカルという表現にあってるように聞こえる。メロディーは明るくて未来への期待や決意を表しているようで、歌詞は、不安やフラストレーションを歌っている。これが通常の映画なら台詞は悲観的で動きは快活に踊ってるという状況になって、なかなか難しいんじゃないかと思う。

事が起こってしまった後、エヴァンの手紙にすがる両親を前にして唐突に偽りの記憶が解放感のある曲にのって歌われる。それは緊急避難的な単なる嘘だけでは無くて相手の寂しさを埋めるため、温かい記憶を与えてあげるため、こう育っていて欲しかった息子 こう感じていて欲しかった息子に会わせてあげるためで独りぼっちだったエヴァンの思いやりのある嘘だった。いい思い出を与えてあげたいという動機にしてもすごくすらすらとでてくるなあと思う。きっと優しい子なんだろうし、エヴァンのなかの欲しかった理想の友達のイメージが投影されていたのかもしれない。

エヴァンの歌を受けて、コナーの家族はレクレイムは歌わないと歌う。色々なことがあっても母親にとってはずっと幼いころの日が心に残っているだと思う、癒されるがそれは死んだ子の年を数えるようなもの。父はまだ死を受け入れず、ゾーイはそれまでの自分にとっての脅威だった兄のイメージが脳に宿っていて伝え聞いた内容とのギャップに戸惑い素直に受け取れない。

そんなゾーイから兄が生前どうだったかを教えてほしいと請われてエヴァンが伝えたのは理想の兄のイメージ、それはゾーイがそうだったらよかったという兄が想ってくれていた優しい言葉。それがエヴァンからゾーイへの恋心にも変わっていてちょっと犯罪者的な危険な感じがして少し気味が悪い。これまでの嘘は状況に流された緊急避難に近いところがあったけれど、今回はちょっとやりすぎちゃったんじゃないかな。コナーの口に自分自身を投影させすぎてしまって、エヴァンの中で現実と虚構の境界がぼやけてしまっているようだ。

コナーの家族はエヴァンを家族のように扱うけれどそれは自分の知らなかった死んだ子の明るい部分を見たいという祈りにも似て見えてくる。本来自分達家族が紡いでいたかった絆、むしろ自分達が察する事ができなかったけれど確かにそこにあった絆を見つけたという気持ち(そんなものはなかったんだけど)。そこにしがみついてしまうコナー家が寂しくて愛おしく感じてしまった。ひょっとしたらエヴァンは、家族が本当のコナーを悼む機会を奪ってしまったのかもしれない。

スピーチの会場で、うろたえるエヴァンを聴衆はスマホで録画する。エヴァンは皆孤独に苦しんでいるけれどあなたは気にかけてもらえるはずだと訴える。最初は冷笑的にエヴァンを捉えたのはスマフォだったけれど、自分と同じだという賛同の感情を広めたのもスマフォ。あったかい気持ちが広がっていくのを見るのは心地よい。みんな素直な感情を吐き出すけれど、そのメッセージはモニターの向こう側の誰かであって目の前にいる者同士で語る様子はあまり出ない。人間は目の前で膝を突き合わせるよりも、光ケーブルやWIFI越しの方が方が相手に正直になれる存在に変わってしまったのかな?皆が感動している中、えらいことになったなーと困惑してる顔が良かった。コナー家の面々やネットの反響とか(実際僕も世界がそうであってほしいと思ってしまった。)他人に自分の夢や生き様を重ねて託してしまうことへの危うさみたいなものを感じてしまう。

誤解がもとになった善意がすごい勢いで広がっていってヒューマニズムに基づいた行動力に少し怖さを感じてしまう。きちんと理解しないまま世の中の幸も自分語りの材料にしてしまうあたりとか、生前の態度とは裏腹に持ち上げてしまうあたりも弾みがついてしまったムーブメントの怖さかと思う。

運動の仕掛けの中心にいて完璧に見えたアラナも痛みを抱えていて、人々に持たれている自分のイメージに苦しみながらも正直になろうとしている、これを聞かなかったら彼女のことを苦手に思ってしまったかもしれないのでとても良かった。すべてが優しい世界で悪い人などいなかった。…やがて来るだろう破滅の予感でヒリヒリする。”良かれと思って”というのは、実のところ危険で危ない態度のようだった。

それで、エヴァンは吐露するんだけどその曲は辛くて、地の台詞と歌が混じっていた。

すごく好きになりたいし、見ている間は大好きだった!…けれど、やっぱりエヴァンの話は嘘だし、そのあたりが気になっちゃう。本当ならものすごく責められてしまうはずだし、自分の文章がさらされないか気にしていた彼が、反省していたもののすぐに立ち直っていたりとか。あれだけ拡がった美談が実は…、ってなると、実世界でも影響が出るほどネットの世界で叩かれることはあると思う。最初にプロットを聞いて、そこからどう再生するか見たいと思っていたこともあって、告白に対する周囲の反応にそれほどウェイトを置いて描かれなかったのは、省略が大胆すぎたような気がする。

孤独感をみんなと分かち合えた暖かさ、共感の伝播力への畏れ、やってしまった嘘の精算が済んでないキレの悪さに挟まれて、まだ見終わった感じがしなくてちょっと困ってしまった。…嘘でまみれたけれど暖かい気持ちにさせてくれたエヴァンを抱きしめたいけれど、抱きしめ方がわからないというか。でも、自分も完璧な人じゃないのでああいった失敗からの立ち直り方も教えて欲しかったかな。

ただ、”あなたを見つけてくれる人は必ず居るよ”というメッセージを聞いて勇気づけられる人にとっては救いになる映画なので、その箇所だけでも見れてよかったと思う。本当に困った時ってどんなきっかけでもそこから楽になるためには必要だし。全体の中のほんの一場面、ワンフレーズ、短い一節だけでも好きになってしまう映画、小説、曲があっても普通なことで、一つの場面だけでも生涯あなたを支えてくれる映画になってもいいじゃないかなって思う。…そしてあなたに幸せになって欲しい。

元になったミュージカルを見てみたくなった。

あと、コナー。本当の君を見てくれた人は少なかったね。あの曲が彼の残した数少ない人生のきらめきなのかもしれない。
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