このレビューはネタバレを含みます
人の感情とは喜怒哀楽に4つに分類され、その人の個性であるとか性格であるとかはそういう感情から派生される何かで安直に判断されがちな気がする。
(例えばよく怒る人→性格が悪い、とかよく笑う→明るい人、とか)
でも我々がその人を好きになったり愛したりする(まぁ逆も言えるんだけど)真の理由の根源的なものっては「喜怒哀楽などの感情を超えた何か」だったりしないだろうかか?
本映画で繰り広げられるのはそんな「感情のセッション」。
登場人物達はこれでもかと叫び合ったり、泣いたり、時には殴り合ったりするが行き着く先はそのどの感情でもない「めんどくさい何か」だったりする。
本作を観てそんな事を考えた。
そして本作における重要なバックグラウンドとなっているロケ地のすべては神戸元町である。
ちなみに本作は劇伴音楽が極力抑えられた作品だが、東京や大阪における喧騒とは程遠いこの町における元町中華街、路地、モトコー付近、そして商店街などから鳴らされる生活音達は、登場人物の台詞の合間や息づかいを自然と引き立て、正に「音符なきBGM」の役割を果たしているのも見所の一つである。これはネタバレになるから言わないがそういう生活音が一旦シャットアウトされて美しいアコースティック音楽が鳴る瞬間があるのだがあそこは多分全ての喜怒哀楽という定型の感情から解き放たれていくシーンがあるのだけれどあのシーンの為に入場料払っても良いぐらいの最高の光景だった。
ふと毛色は違うが『四月の永い夢』の浅倉あきが浴衣着てヘッドフォンで音がを聴きながら軽やかにダンスするかのように帰宅するシーンがあるのだがふとそれを思い出したりして。
兎にも角にも観る者の心を まっぱだか にしてくれる傑作が今現在在住しているこの神戸という地で生まれた事を祝いたい。