「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」
桜は下手に切ると腐って枯れることがあるし、梅は切らねばむしろ良い実がつかなくなる。画一的なやり方ではなく、個性に応じた手の掛け方が大切という意味の諺。
珠子さんと忠さんの家からはみ出た梅の木は哀しくも地域のコミニュティから邪険にされる忠さんやグループホームの住人たちにも重なる。このままにしていたくてもやっぱり梅の木は隣人の通行の邪魔にもなるし、放置してると朽ちゆくわけで。忠さんとの生活も周囲に迷惑をかけることは時折あって「互いに老いていく」未来に手付かずではいられない現実が直面する。グループホームという頼みの綱も忠さんには窮屈なようだし、何より寂しくもあって、珠子さんがふと言った「私も越してきたいなぁ」がすごく印象的だった。
不寛容だ!と地域への非難は簡単。でも地域が抱く不安も一概に否定できない。共生への道も画一的な選択肢から選ぶのではなく、地域が対話を重ねて考えなきゃならないのよね。
映画を通して何も解決していないんだけど、隣の家族と一歩近づいた距離が小さいようでとてつもなく大きな一歩にも思えてくる。テーマ的に重たくなりそうなところ、温かみのある映画に昇華されていた77分。お互い様だろ?だね。