このレビューはネタバレを含みます
まず、実話に基づくと言われている通り、マイヤー・ランスキーという人物は実在した人なんだな。アル・カポネとかラッキー・ルチアーノの名はどこかしらで聞いたことあったけど、基本アメリカ犯罪史はほとんど何も知らない。国内の犯罪史すらよくわかっていないゆえ。でも彼を題材にした映画もいろいろあるんだな。
エンドクレジットに本か何かの題名と思しき記述は見当たらなかったので、何か原作があるわけではないのかな。とすればデヴィッド・ストーンという記者(作家?)とかその家族とか、なんならランスキーと彼の話に登場した人物以外はみんな創作と思って差し支えないだろうか。
マイヤー・ランスキー Meyer Lansky
1902/07/04-1983/01/15
ユダヤ系ロシア人のギャング。2度の結婚を経て、3人の子を授かる。
1911年渡米。ラッキー・ルチアーノ率いる不良グループと1人で喧嘩し、度胸を買われて以降ルチアーノとは親友となる。数学に秀でて、少年の頃からサイコロ賭博に興じ、"バグジー"ことドン・シーゲルと共に裏社会でのし上がる。
1920年代の禁酒法時代には、作中では貸トラック業と称されていたように、酒の運搬や酒の密輸トラックの強盗で稼ぐ。
1931年サルヴァトーレ・マランツァーノの死後、犯罪シンジケートへの参加とマーダー・インクの設立を果たす。尚、作中ではランスキーを呼び出したマランツァーノ宅に捜査官に変装したバグジーが来て、バグジーが何度もマランツァーノを刺して殺す様子が描写されていたが、実際はルチアーノとその手下がランスキーとバグジーの立ち位置だったとか。
優れた経営感覚で米国各地に賭博事業を展開し、やがてキューバにまで進出する。キューバで築いた莫大な財産から、一部をイスラエルへ武器等の費用として寄付する。
裏の大物として政府に認識されると、第二次世界大戦中にはドイツ諜報員の炙り出しに協力する。戦後も賭博事業を展開し、バグジーにラスベガスでの事業を一任するも、巨額の損失を計上する。バグジーは責任を取り粛清される。
その後、1959年キューバの革命によるカストロ政権樹立を受けた撤退や、1970年脱税容疑を掛けられて逃亡した先のイスラエルでの帰化却下を経て、アメリカで晩年を過ごす。1976年、病気と老齢によりFBIによるランスキーの追求が打ち切られる。1981年に肺癌で死去。3億ドルの資産を隠していたとされる。
Wikipedia等を眺めながら本作に関係していそうなところを摘んだところ、以上のようなかんじ。
マランツァーノ暗殺のくだりにも見えたように、ランスキーの生涯を忠実に描き出そうとした作品ではない模様。まあそれならそれで、ランスキーについて軽く調べた内容の真偽もそんなに気にしなくていいので助かる。
ランスキーの史実の正確さは置いておいて、もっと人となりみたいなところに焦点を当ててみた形だろうか。たぶん、ランスキーがデヴィッドを気に入っていたというのがつまりランスキーとデヴィッドが鏡写しみたいな関係になっていることを表していて、互いに置かれた状況だの境遇だの心境だのを補完し合っていたのだと思う。
例えば、両者とも頭のきれる子供だった。ランスキーは学こそないが確率を計算してサイコロ賭博に勝ったエピソードの通りで、デヴィッドはランスキーの事前調査によれば名門の学校を出ている。
2人とも家庭に問題を抱えていた。ランスキーは裏家業のことで元妻に激しく非難され続け、デヴィッドも作中で妻に口を聞かれなくなった末に不倫される。デヴィッドも不倫していたけど、脚本上必要だっただけか、これもランスキーと鏡合わせなのかは知らない。
FBI(広く言えばお国の機関)の追跡を撒いてみたり利用されたりっていうのもまあ共通だったのかな。
あと元々ロシア人のランスキーと、彼の街に来たデヴィッドっていう、余所者同士の関係とか。
デヴィッドは、ランスキーは人生というゲームの支配を望んだが唯一そのゲームだけは支配できないものだと悟った、みたいなことを述べていたか。せいぜい何回か連勝できれば良い方と。要は良いことも悪いこともあるよねと。
デヴィッドだって、作中の時期でこそ大負け中でまとまった金を必要としているが、どうやらケネディの本で一発当てた勝利の過去があった模様。
ランスキーも同様。ゲームを支配できず大敗を喫することもある。作中の出来事だと例えば、親友のバグジーの死とか、米国の圧力によるイスラエルへの帰化の却下とか。
ゲームでの負けといったら、どうやら長男バディの件もそう。「母さんにコートを買う」とか「おまえは何にでもなれるが俺みたいにはなるな」とか、若かりし頃の会話が切ない。
ランスキーがデヴィッドに3億ドルの件を聞かれた際、ランスキーはデヴィッドをバディのいる介護施設へ連れて行った。寝たきりのバディの額に昔と同じように口づけし、デヴィッドに「俺はギャングではなく顔の汚れた天使だ」と言った。
つまりは、3億ドルは実在したがバディのために使い切ったと述べている気がする。かつて主治医が述べたバディの病気の研究者の存在が伏線になっていて、介護や一縷の望みをかけた治療に消えていったことを意味しているのかもしれない。
ググったかんじ、バディは悪く言えば父の脛をかじりまくった人で、博打で大負けしたり結婚生活でも何かと金を要したみたいなことも聞く。さらにはバディは睡眠薬で服毒自殺を図ったこともあったらしい。その辺の対応も大変だったかもしれない。
どうにせよ、我が子のためというのが、ランスキーに「歴史は同じ出来事でも様々な見方ができる」との台詞を用意したエタン・ロッカウェイ監督による歴史の見方ということだろうか。
「白も黒もなくグレーの濃淡があるだけ」と述べられたのが大きなテーマと感じる。
歴史に残るほどの大犯罪者であったことには変わりないけども、頭の先からつま先まで悪意に染まった人間だったとも思わない。冷徹に敵を殺してのし上がった裏の大物であった一方、カタギの作家の男と鏡合わせにすることで、ランスキーもまた1人のカタギの男と同様に家族のために身を粉にしたただの男でもあったのではないかと主張した。そんなような話だったんだと思う。