netfilms

英雄の証明のnetfilmsのレビュー・感想・評価

英雄の証明(2021年製作の映画)
4.3
 刑務所の休暇システムにより、ようやく娑婆に出て来た男の足取りは軽やかになるどころか、どこか頼りなくふらついているように見える。その様子が古都シラーズの巨大な遺跡と対比的に遠景で描かれる様が圧巻だ。元看板職人のラヒム(アミル・ジャディディ)は最初に姉の旦那を頼ってこの遺跡を訪れたわけだが足元はふらつき、この巨大な遺跡のてっぺんまで登るのがやっとの状態だ。映画は終始、この男の朧げな道行きを徹底的に見つめる。元看板職人の男は事業で成功を収めようと勢い勇んだものの、結局その事業には失敗し、借金だけがかさんだ。彼が支払うことが出来ない分は連帯保証人となった彼の当時の妻の兄バーラム(モーセン・タナバンデ)が全て肩代わりし、支払いの滞ったラヒムはこうして刑務所に収監され、数年の月日が過ぎたのだ。ようやく娑婆に出た後の彼の行動はまず会いたい人の順位ではない。その順番にはやはり彼のお金を返したいという願望がはっきり垣間見える。やがて新しい婚約者のファルコンデ(モーセン・タナバンデ)と再会した時、彼女は偶然拾った17枚の金貨が入ったバッグを持っていた。

 神からの贈り物のように思えたこの金貨の扱いを巡り、男の良心は揺れるのだが彼の取った行動はやがて英雄として称賛される。罪人の行った美談はテレビや新聞でも大きく報道され、SNSではシェアされ拡散され、瞬く間にこの小さな美談は大きな出来事として報じられるのだが、物事はそう簡単ではない。映画はゼメキスの『フライト』やイーストウッドの『ハドソン川の奇跡』のように、彼の取った行動が英雄だったのか?それともペテン師だったのかを驚くほど緻密な筆致で紡いで行く。その報道の過熱ぶりや、吃音症の息子を使った立ち回りが美談として持て囃されるのだが、他人事の判断は旗色が変わるたびに今度は一転して大きな非難に晒されるのだ。もし彼がもう少し弁が立つ男ならばと観客の多くは思うだろうが、そうであれば事業に成功し借金などなく、刑務所に収監されることもなかったはずだ。姉夫婦が暮らす大家族の中では吃音症の息子だけが姉の家族ではなく、父親は収監されてしまい、彼がどれだけ肩身の狭い思い暮らしをしてきたのかは想像に難くない。彼は本気で父親に傍にいて欲しいと思っている。そう思えば思うほど吃音の症状はより一層ひどさを増すばかりだ。

 どんな美談も一旦メディア上に乗せられれば、第三者の好奇の目に晒される。そこに頼りなかった元亭主への憎悪があれば、なお一層憎しみが吹き上がるのも無理はない。文化の違いはあるもののここにはセンセーショナルに掻き立てるSNSの光と闇がじっくりと炙り出される。主人公の身にはこれでもかというほどどん底の不幸が訪れ、彼の不確かな足取りはより一層不自由さを増して行く。1人の男の身に起こった不幸を徹底したリアリズムと卓越した演出で紡いだこの上なく濃密なサスペンス映画であり、「正しさ」という極めて現代的な事象と対峙し、何気ない選択は人間の本質を見事に射貫く。真に優れた脚本と緻密な演出力に裏打ちされた間違いなく現時点で世界最高峰の映画だ。これがアメリカやフランスからではなく、イラン映画から出て来たことにも称賛を禁じ得ない。
netfilms

netfilms