三畳

ニトラム/NITRAMの三畳のレビュー・感想・評価

ニトラム/NITRAM(2021年製作の映画)
4.0
この映画はフォローしてる人のレビューで知った。私は町田康の「告白」が好きで、めっちゃ似てる話!と思ってclipした。
結論から言うとストーリーもキャラクターも似てはいなかった。
無差別殺人に至るまでのままならなさ、という点だけは同じだけど、告白の熊太郎の過剰な自意識と思弁がニトラムにはない。

でも、その方がこの映画を抽象化してご自身に落とし込んで書かれたものと、私が告白を読んで取り込んだものは近いなあと思った。

そんで始まってみれば主演の人ちょっと町田康にも顔似てるしな!しかもなんとパンフにコラムまで寄せてたので遠からず繋がっているものがありそう。


映画のメッセージに沿って考えてみた。
殺人犯が銃を使うのではなくて、銃が人を殺人犯にするのではないか?
その素質がある人のもとに銃(本作ではその資金)が巡る運命なのでは?

理不尽に破滅に向かおうとするはたらきは世界にぼこぼこと潜んでおり、それを具現化する役割がたまたま課せられたのが無差別殺人犯なんじゃないかなあ。

その証拠に、そいつが正しい方向へ行こうとすれば、人の倫をただ普通に生きようとするだけで、こんなにも抵抗が発生するじゃん。

ここまでは「ジョーカー」でも感じた。

この仮説を説明するのに私はつい社会の歪みを持ち出したくなるんだけど、
実はこの映画にはそれが一切ないから論じにくく、
(少年時代の虐めがしっかり後を引くことは示されるものの、)
やっぱり誰のせいにもできないのだという見方が本当に良かった。
これが「ジョーカー」とも大きく異なる点かと。

だけどたとえ家族に愛してもらえてもこれほどまでに救いようがない孤独があることを目の当たりにして絶望。

私は将来このまま社会性を保っていれば人を殺めるまではいかないものの、電車や道端で自分の主張を大声で喚き散らし続けるイカレババアになるぐらいの未来は全然あり得る気がして、
今はやべー中年にならないことだけを目標にカウンセリングを受けている。(病んではいないしコーチングに近いかも)


ペーパードライバーの私、車でスピードが出すぎる悪夢をよく見る。
マリオカートとかゲーセンのカーレースがへたくそで、よくどっちを向いてるのかわからなくなるんだけどw、
それを公道でやっちゃってる夢。

この、制御できなくて、自分でも今にも事故りそうで困ってるのに誰も止めてくれない恐怖は、人と会話しているときの不安の表れだと思う。

私は人を傷つける可能性がある「言葉」という車に乗る免許がないのに、乗らないと生活できないから仕方なくコミュニケーションの公道に出なければならない。言葉というかレスポンス全般。

一般の人が無意識にできるコミュニケーションを、私は間違わないためにはけっこう都度頭で考えて行う必要がある(そんでやっぱり間違う)。


ニトラムは、モノローグが無いのも映画として良かった。そのおかげでなかなかに怪物になってる。何考えてるのかわからなくて怖い客観性がある。

(公式サイトのコピー「僕は、僕以外になりたかった」には胸を打たれたけど、以下グダグダ続く「ママを喜ばせたかった」「彼みたいになれなかった」とかは一言も言ってないし完全に蛇足だとおもう💢)


物事を進めるのに、AからB、BからC、と道順を進まなきゃならないところを、Bという発想がなくてAからCに行こうとして行けなくてガンガンぶつかってたり、AからZに行ったりしてしまう。

自分は一応何の疾患も障害もない…と自己判断してるので、
それら由来のニトラムの不自由さには共感しかねるけど、
半分くらいはコミュニケーション経験値の蓄積の無さに由来するんじゃないかと思う。わからないから短絡的になる。


今度こそ積み重ねようと分かりあおうと気合を入れるのに、考える間にみんなが目配せする、共有されるその意味がわからない。世界は速すぎる。一人だけ3Gみたいな取り残され感…焦る。


あと、この手の物語は酒やドラッグに溺れ苦しみの出どこがうやむやになりがちだけど、それがなく、問題の純粋さが保たれているのが良かった。


殺人犯が、心神喪失・精神疾患により減刑されると、「そんな状態で計画的に人を殺せるわけがないだろ」という声が出る。私もそう思う。

でもこの映画では実に淡々と着実に自ら銃を買いに行って、
なんなら殺しに向かっている後半の方が頭がクリアになってコミュニケーションもスムーズになりさえするようで、
参っている状態と故意とがこんな感じで両立しうるんだと思った。


中大型犬10頭を束ねて散歩するシーンだけが唯一最高です。
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