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インフル病みのペトロフ家のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

インフル病みのペトロフ家(2021年製作の映画)
4.5
良いお年を。

[エカテリンブルク版"ユリシーズ"的ファンタズマゴリア] 90点

大傑作。2021年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。2018年に出版されたアンドレイ・サルニコフ『The Petrovs In and Around the Flu』の映画化作品。運営する劇場の公金横領(支援者によると事実無根)で逮捕されて再審の結果執行猶予付き罰金刑となったセレブレニコフは、裁判の間の自宅軟禁を"パラレルライフ"と捉えて精力的に活動していた。朝から晩まで法廷にいて、夜は徹夜で撮影するというサイクルで本作品は完成したらしく、確かに思い返すと夜のシーンが多い。そういった制限による必要性から生まれたのか、自身が舞台監督だから生まれたのか、リアルタイム性を押し出す長回しを使いながら時間や場面が超自然的に変化する場面が多数あった。セレブレニコフはこの原作で舞台もやったらしいが、どんな作品になってるのか全く想像できない。

本作品の主人公はペトロフという30代くらいの男である。彼は恐らくインフルエンザだが、このご時世にマスクもせず口を抑えもせずにゲホゲホと不健康そうな咳をして、身体の芯から凍りそうな真夜中のエカテリンブルクを悪友イゴールとともに歩き回る。熱に浮かされかのようなドリームライクな時間の流れの中に、宗教や選挙制度を批判する怪しげな男やゲイロマンス小説を書く男などを登場させ、自由自在に現代ロシアを挑発し続ける。家に戻らないペトロフに対して、図書館司書の元妻ペトロヴァは一見大人しそうだが、図書館で暴れる男を見ると豹変し、スーパーヒーローばりのアクションで物理的に叩き潰す強さを持っている。彼女もペトロフと同じく風邪気味で、後に家に籠もることになるが、家に帰らない/帰れない夫と家にいる妻という構図や摩訶不思議な時間経過/場面転換も意識の流れっぽくワンカットで描かれているので、完全にエカテリンブルク版『ユリシーズ』といった感じがする。

元夫婦が再会すると、物語はペトロフの過去篇に突入する。彼が子供の頃に両親とともにクリスマス会に行った思い出と、彼の息子がインフルを押して新年会に行こうとする現在が重なり合って、前者が表面に出てきたのだ。思い出の中で、ペトロフ少年は乗り気でないロシアの雪姫スネグーラチカについて思い返しているが、そこで映画はペトロフ少年の記憶から脱線して、スネグーラチカを演じた女性がどうやって公民館の新年会に辿り着いたかを語り直し始める。

本作品はこれまでのセレブレニコフ作品を全部集めてごった煮したかのようなイカれた地獄である。同じ場所や時間を何度も訪れることやペトロヴァを演じたチュルパン・ハマートヴァは『Yuri's Day』(同作の主演はクセニア・ラパポルトだが、チュルパンにそっくりなのだ)、長回しではありえない時間経過は『Betrayal』、おじさんのお説教演説は『Playing the Victim』、落書きが剥がれ落ちてアニメになったり、モノクロでソ連時代を描くのは『レト -LETO-』など、様々な過去作の要素が集結している。ファンとしてはあまりにも眼福。加えて、前半の『ユリシーズ』部分はセルゲイ・ロズニツァの劇映画のような冷徹さとDAUのようなグロテスクさがあり、その唯一無二さにやられてしまう。

結局、ペトロフの流感とは何だったのだろうか?定期的に大勢が掛かるもの→ノスタルジーという連想を起点に、過去と現在、現実と夢を縦横無尽に駆け巡るファンタスマゴリアとしての病ではないだろうか。スネグーラチカのお姉さんに抱いた憧れのような感情は、あのイベントのグロテスクさやお姉さんの存在そのものをノスタルジー色で塗りつぶしているのではないか。それと同時に、奇跡を可能にする希望のようなものとすら感じられて、アンビバレントな自由さが心地よかった。
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