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春原さんのうたのkoheiのレビュー・感想・評価

春原さんのうた(2021年製作の映画)
5.0
https://bsk00kw20-kohei.hatenablog.com/entry/2022/01/19/112132
22.1.19

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『ひかりの歌』を見にいったのが3年前の同じ寒い時期。自分が上京してきた年のこと。上映後に胸がいっぱいになっていて、ユーロスペースのロビーにいた杉田監督に駆け寄って握手してもらった。手の温もりが今でも忘れられない。杉田協士監督の映画には人肌や息吹を感じる。それもじんわりと抱擁してくれるような温もり。コロナでいろんな境界ができて、人との距離ができて、顔が見えづらくなった。この映画もしっかりコロナ禍の人々を描いているから、登場人物がけっこうな時間マスクをしていたりする。それでも、やっぱりじんわりと温もりが伝わってくる。時間をかけてじっくりと。

パンフレットを読んで、歌人の錦見さんと映画執筆家の児玉さんの文章がほんとにそうなんだよなと思った。
主人公の沙知はアパートの玄関扉をしばしば開け放っている。部屋を空気が貫通するように窓も開け放たれている。冷静に考えてみる。自分が住んでいる部屋で、玄関扉を開け放つことなんてできるだろうかと。絶対できない。恥ずかしいより先に怖いの感情がくる気がする。でも沙知は開け放っていた。ただ涼しいから開けてたのかな。この映画の光と風はほとんどが自然のもので、人工的・機械的なものは出てこない。そんなアパートの一室だから、いろんなものが通り過ぎていった。風、人、光、手紙、音。例えばこの一室を、「まるでリコーダーのようだ」なんて思うこともできる。玄関扉が吹き口、部屋の窓がいくつかの穴。ネットで調べて出てきた言葉をそのまま使うと、リコーダーという楽器は、人が吹いた息が、窓(ラピューム)で小刻みに震えることでカルマン渦という渦を発生させ、この渦により共鳴が起こり、音が起こる。とのこと。息が中で振動・共鳴し、音となって出ていく。あのアパートの一室もまた、入ってきた人や風が振動・共鳴しあって、音や歌になって外に飛び出していくようなイメージで満ち溢れていた。この映画に出てくる食事という行為もまた、ものが人という空間を巡って形を変え通り過ぎていくという点でリコーダーやアパートの一室と似ていて、そういうものがすべて「生きていること」の原始的な表現のように思えてならない。ちょっと抽象的すぎるけど。やり場のなかった身体が、部屋を通り過ぎるなかで形が変わり、どうしようもなく生きてしまう。一方で、読まれないとわかりながらも出された葉書は無機質な「転居先不明の判」が押され、戻ってきてしまう。「変質」と「保存」のどうしようもなく分かたれた対比がありつつ、スクリーンに投影された光が私たちの視覚を通して想像力に転換されることで、そのふたりは今もまだ同じ世界にあり続けている。心地よさと不憫さに駆られて、突然涙が出たこともあった。この映画は観る人によって発光の仕方が違うし、場合によっては「発酵」もするという東さんの感想も思い出される。映画があなたを通り抜けたときにどういう音や光が飛び出てくるのだろう。楽しみでしかない。
どら焼き被りの愛おしい叔父さんと叔母さん。沙知が小さな頃に、「どら焼きが好き」と言って、それを覚え続けているような健気さがあった。知らんけども。
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