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ジャッカス FOREVERのCHEBUNBUNのネタバレレビュー・内容・結末

ジャッカス FOREVER(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

【JackassはYouTubeに座を奪われたのか?】
映画史が始まって以降、舞台やサーカスでは魅せられないスペクタクルのあり方が模索されてきた。バスター・キートンは、機関車の先頭に乗りながら障害物を掃けたり、倒れてくる家の狭間に収まったりヒヤッとするスペクタクルを捉えた。ある時代では、可能な限りエキストラを導入し、圧倒的人間の群をスペクタクルとして描いた。時代が進むと、爆発にこだわる監督が現れ、マイケル・ベイは毎回、どれだけカッコいい爆発を画に収められるかにこだわってきた。

一方で、カメラは年々小型化し、一般人も身の回りの情景を映像に収めることができるようになってきた。2000年になると、ホームビデオの延長としてJackassが放送された。これは大のおとながくだらないことをする番組であり、中学生、高校生男子の悪ふざけを放送する内容であった。本テレビ番組は、テレビを飛び出し、度々映画化されていった。

しかし、2005年にYouTubeが誕生し、一般人が何気なく撮った動画をアップできるようになると、Jackassのような屁を水上置換し火をつける動画や、日本でも、すしらーめん《りく》のように専用の機械を発明し壮大なスペクタクルを行うYouTuberが現れた。

くだらなくとも思わず笑ってしまう動画は、映画やテレビ番組から一般人の手にも渡り、YouTuberが社会的地位を得たことでJackassの手からも離れてしまったのか?

2013年の『ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中』から約10年の沈黙の末、Amazon Prime Videoで配信された最新作『ジャッカス forever』で「否」と彼らは叫んだのであった。今回はネタバレありで本作について語っていく。

『ジャッカス forever』は、いきなりハリウッド大作さながらのスペクタクルから始まる。地鳴りが響き渡り、人々は逃げていく。やがて、その正体が明らかとなる。ゴジラだったのだ。ミニチュアのセットを使った特撮。ゴジラの正体は、男性器に緑のペイントを塗ったものであった。男性器ゴジラに追われる人のスペクタクルを通じて、往年のメンバー紹介が行われる。仮設トイレバンジージャンプという名物企画もそのスペクタクルの中に組み込まれる。このファンサービスのレベルの高さに感銘を受ける。卑猥なゴジラVSガメラを冒頭にもっていき、もう初老の年齢であるおっさんたちが、20年前と変わらず仲間達と様々な挑戦をしていく様子が描かれていくのだ。

50代の人脈、財力によってYouTuber顔負けのセット、そして何よりもYouTuberはBANに怯える中で、その制約の外側から挑戦を描いていく。故に、全編通して、排泄物、陰部、危険なスタントが所狭しと陳列されていく。それも高性能のカメラで撮影されるため、決定的瞬間を確実に仕留めてくるのだ。なのでサイレント時代から続く、決定的瞬間を捉える映画的快感に満ちている。

例えば、人間大砲を行う場面。真横から天使のコスプレをした男が飛び出す。これを正面からも撮っており、勢いよく飛び出すアメコミヒーローのような構図が現実のものとして収められている。ここに面白さがある。

また、回転台に乗りながら牛乳を飲んでいると、戦闘機が通りかかり爆撃される場面。間抜けな回転台でフラフラになるおっさんたちの背後で、シティーハンターさながらの爆発が起こっているシュールな光景を、絵画のように計算された画で仕留めていくところにも感動する。

卑猥なネタでいえば、男性器に膨大な蜂を纏わせるパートはYouTubeでも映画でも観られない恐ろしいものがあった。

学生時代からJackassを追っていた私からすると同窓会のような感傷的な面白さ、久しぶりに中高時代の友人に会って何も変わっていない様子に癒される感触を抱く。

しかし、一方でパワハラ、差別への解像度が上がった今観ると、明らかにイジメである描写も少なくない。ホッピングしながら男性器に攻撃する場面や、女性の胸にサソリを置く場面は直視し難いものがあった。

これを踏まえると同窓会的懐古とは、昔の価値観が冷凍保存されている状態であり、目まぐるしく価値観が変わる世界で、人が変わらぬものに対し渇望を抱くことなのではと考えられる。そして自分の場合、年末の「笑ってはいけない」シリーズが年々、イジメ的演出と内輪ノリの側面が様々な価値観に触れる中で受け入れ難く感じて離れていく手触りに近い作品が『ャッカス forever』であった。

複雑な気持ちになった作品なので、点数は保留とします。
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