柏エシディシ

ブレードランナー ファイナル・カットの柏エシディシのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

ブレードランナー強化週間継続中。

ファイナルカット。
「ふたつで十分ですよ」という事ならば、現時点ではコレと「完全版」(82年アジアヨーロッパ公開版)の2本を最低限チェックすればOKでは無いでしょうか。

日本では紛らわしい事にディレクターズカットの邦題が「最終版」と銘打たれている為に混同し易いですが、
リドリースコットの意向が色濃いディレクターズカットをベースに、オミットされていた暴力描写が復活。
更に映像音声をブラッシュアップし、いくつかのエラー箇所が改善されています。
(たとえば、ロイバティー初登場カット。タイレル社長との会合シーンの反転映像を流用してる為、色調の不統一やその場にいない人物の指が肩先に映ってしまっていたのを修正、など)

業務報告は以上として、ブレラン者としては最終版から本作も継承をしてる問題「ユニコーンの白昼夢」または「デッカードはレプリカントなのか?」問題にまた向き合わなければなりません。
リドリースコットが過去に明言している通り、本作においての解答は「YES」であるのは明白の様です。

そしてそこから浮かび上がるのは、プリスが囁くデカルトの言葉や、デッカードの述懐も示唆する、
「人間が人間たる所以とはいったい何であるのか」「生きるという事はどういう事なのか」という哲学的な命題。
リドリースコットが本作に込めたテーマは、ブレードランナーをカルト映画たらしめた1つの要因ではないかと思います。

しかしそれでも、デッカードはレプリカントであって欲しくない、という思います。

もしデッカードがレプリカントであるならば、ロイバティーの「あの」決断の意味合いが変わってしまうと思うから。
あのシーンが心打つのは、ロイが最後の瞬間、人間とかレプリであるとか、そういった境界をも超越した行動を取るからであって、
(例え、その事実を知らなかったにしても)もし同胞を助ける為の行動となれば、その価値は幾分か変容する事になりませんでしょうか。

デッカードはレプリカントなのか?
その答えはNoであって欲しいと思うのです。
柏エシディシ

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