あんがすざろっく

ブレードランナー ファイナル・カットのあんがすざろっくのレビュー・感想・評価

5.0
IMAXはやっぱり凄かった‼︎
映画は劇場で観てもテレビで見ても、面白いものは面白いし、つまらないものは3Dで観たってつまらないんです。
ただね、劇場で観てこその作品ってあると思うんです。それは映像であったり、細かいSEであったり、家でブルーレイとかDVDで見る環境では到底再現出来ないクオリティで作り込まれているものです。
いずれは防音設備の整ったAVルームを作りたい‼︎これはきっと、全ての映画ファンの夢ですね(笑)。


ブレードランナー、初めて劇場で観ました…。
しかもIMAX。

自分まだブレランのレビューあげてなかったんで、これを機会にあげようと思います。

映像が凄いのは言わずもがなです。
オープニングの炎を噴き上げるビル群ね。
タイレル社の全景ね。
降りしきる雨と、街の雑踏の作り込みね。
色んな国の言葉が飛び交う猥雑さね。
どれもこれも、ブレラン印です。
未来の風景がこうも陰鬱としていて、整然としてないものか…。

自分が驚いたのは、映画を埋め尽くしたSEです。
部屋の中のシーンでも、表で鳴り響くスピナーらしき音とか、空気ファンの音だとか、あとね、ずっとデジタル音やシグナル音が続いていたりする。それが全部、ブレランの世界になくてはならないもの。今までテレビで見てきて、あまり気づかなかったです。そりゃ、家の中での音量に限界はあるからね(笑)。

ここまで細かい音が作り込まれていたとは。
もうね、完全に世界を構築してますよ。
そりゃ完璧主義者のリドリー御大、観客に解りやすい作品にするより、その世界観を大事にしますわね。
だからこんなに幾つもバージョンが存在する。
僕ももう一回見ないとバージョン違いを思い出せないけど、ワークプリント版はオープニングがカッコイイ。
劇場公開版は分かりやすくナレーション入りだし、エンディングも何だか希望を残して終わってます。
だけど今見れば、劇場公開版に御大が納得できないのは当然に思えます。
何でもかんでも観客に分かるように、親切に作ればいいってもんじゃない。
映画は基本的にエンターテイメントだから、観客が楽しめるものが良いと思いますが、作品を選んだり、お金を払って観るからには、観客も想像力を使って、考えながら観る作品も時には必要だと思うんです。
ブレランには本当にそれが必要。
しかしまぁ、確かにバージョン多過ぎですけどね(笑)。
御大、これ以上バージョン増やさないよね?
「二つで充分ですよ‼︎」って屋台の親父も忠告してたっていうのに。
今回は御大が一番納得しているというファイナルカットの公開、なのでファイルカットを前提にレビューします。


21世紀の初め、アメリカのタイレルコーポレーションは、人造人間のレプリカントを開発。
見た目は普通の人間と変わらないのだが、その知能や体力は人間のそれを遥かに上回り、宇宙の植民地で過酷な労働に従事していた。
やがて感情を持ったレプリカントは、人類に反旗を翻し、地球に潜入して事件を起こす者も現れ始めた。
彼らに対抗するべく、警察は特捜「ブレードランナー」を発足。
その役目は、地球に潜伏したレプリカントを判別し、解任(射殺)することだった。

物語は2019年11月に始まる。
(って、今から2カ月後の話じゃん‼︎
とうとう時代がブレランに追いついたのだ。
「2001年宇宙の旅」を2001年のリバイバルで鑑賞した時の興奮が甦ります。)
地球に6体のレプリカント(以下レプリ)が潜入したとの情報が入る。
かつては腕利きのブレードランナーだったが、今は退職したデッカードに、再びレプリを追う任務が下った。
6体のうちの2体がタイレルコーポレーションに押し入ろうとしたことから、デッカードはタイレル社長を訪ねることに。

レプリ達の目的は何なのか。
デッカードは核心に近づいていく。
それと同じくして、レプリ達もデッカード排除に動き出し、リーダーのロイ・バッティーとの対峙も迫っていた。



というのが、大まかなストーリーですね。
大まか過ぎますか(笑)。
書き始めると、どんどん足したくなるので、引き算しながらのレビューです。


まず主役のデッカードにはハリソン・フォード。
プロのブレードランナーなのですが、どうも徹底したプロに見えない。
何でか考えたんですけど、それは後述するとして。今回は後述することが山ほどありまして(笑)。

レプリのロイ・バッティーにルトガー・ハウアー。
僕が勝手に思うに、「ブレードランナー」と言われて思い出すキャラクターって、デッカードやレイチェルより、遥かにロイの方が印象的だと思うんですよ。
それぐらい強烈。
それはさながら「ターミネーター」で、サラ・コナーやカイル・リースよりも、悪役のはずのターミネーターの方がインパクトが強かったというのに似てます。まぁこっちはタイトルがタイトルだからですけど。

何と言っても、あのハウアーの佇まい。
最後のデッカードとの対決で、ロイはまるで野良犬か狼のような雄叫びを上げてデッカードを追いかける訳ですけど、これって、泣くという感情を知らなかったロイが本能的に発した泣き声だと思うんですよね。
ゾッとすると同時に、あまりにも見事な表現だと思いました。
あっ、後今回劇場で観て気付いたんですよ、僕が大好きなシーンがロイとタイレル社長の面会シーンなんですけど、これまた大好きなロイの台詞があって
「長生きしたいんだよ、ク◯野郎」っていう。

あれがなかったんですよ。
ファイナルカットって、もともとそうなってましたっけ?
やっぱり、世論的にひっかかった?
家に帰って見直さなきゃ。
いや、でも見直すと、家の視聴環境に落ち込むんだろうなぁ(笑)。
(家で確認したら、やっぱりファイナルカットは「長生きしたいんだ、父よ」になってた。ついでに家の視聴環境にも愕然…)

それから、ヒロインのレイチェルにショーン・ヤング。
この人のお人形のような美しさは、もうレプリそのものでしたね。
良い意味で、人間臭さを感じさせない。
本作のデッカードとレイチェルのラブシーンが最高なんですよね。

人を好きになるとか、愛するという感情を知らないレイチェルに、デッカードがレッスンするんですよ。
「キスしてと言えよ」
「抱きしめてと言えよ」

ちょっと言い方がいやらしく聞こえてしまうけど、これはもう、愛という名の調教です。

すいません、男の妄想爆発ですね(笑)。


それから、レプリのプリスを演じたダリル・ハンナも良かった。
僕はショーン・ヤングより、断然ハンナ派。
印象的だったのは、デッカードに撃たれたプリスが、断末魔と共にのたうち回るシーン。
人間じゃない、動物とかが痛みに苦しんでのたうち回ってる感じ。
一つ一つの演出がよく考えられてるんですね。

ブレランで忘れていけないのが、ヴァンゲリスの音楽です。
サントラ聴くと、もうブレランの世界に入っちゃいますもんね。
確かワークプリント版は、エンディングに愛のテーマが流れるんですよね。
あれはあれでいいんだけど、エンディングにはブレランのあのテーマ曲でないと据わりが悪いんです。
それだけ、ヴァンゲリスの音楽はそのシーンごとにピタリとはまってるんですね。


他にも名シーンがたくさんあるんですけど、切りがないし、皆さん語り尽くした感があるので(笑)。

今回のレビューは、劇場で観て、改めて疑問に思ったことを書き留めたいと思いました。
きっと皆さん、様々な解釈をお持ちだと思うので、これはあくまで僕が感じた疑問と発見。

デッカードにプロらしさを感じない。
事件の核心に迫っていくプロセスは流石なんですよ。だけど、いざリオンと対峙したり、ゾーラを追いかける段になると、どうも不自然というか、慣れてない感じがあるんですよ。
もっと言ってしまえば、まだガフの方が異様で底知れない不気味さとオーラを持っている。
ブライアントによれば、もともとは腕利きのブレードランナーだった訳ですよね。
でも、この乖離は何だ。

僕が考えたのは。
デッカードは元腕利きのブレードランナーという記憶を移植されている。だけど実際にはレプリを追い詰めたことはない。
ブレードランナーという職種自体、レプリ抹殺が仕事とは言え、頻繁にそんな場面に出くわさないから慣れてないんですかね。

タイレル社でデッカードがレイチェルに逆に質問されてます。
「人を殺したことある?」と。
デッカードは「いや」と答えるけど、それは本当なんでしょう。
まぁ彼が殺すのはレプリなんだけど、恐らくレプリすら解任(射殺)したことがないんじゃないかな。

ゾーラを撃ち抜くシーンも、今回あれっと思ったのは、デッカードがゾーラ(らしき女性)を撃った後にBGMに合わせて、鼓動がドクンドクンと響いているんですよ。
それが突然聞こえなくなる。
ゾーラの頬に蛇の刺青を見つけた瞬間に消えるんです。
あの鼓動はデッカードのものかな。
撃ち殺したのがゾーラでなく、全然無関係な人間だったら、その恐怖に対するデッカードの鼓動。だから、蛇の刺青を視認して、ゾーラを撃ったんだ、自分は職務を全うしたんだ、と安堵したのか。
それとも、これは観客の心理を表した効果音だったのか。
はたまた、果てる直前のゾーラの鼓動か。
色々な解釈をしたくなるSEでした。

ブライアントがデッカードに、レプリ追跡の任を伝えたシーンも、ブライアントがデッカードに送る視線、ほんの数秒のタメが気になります。ブライアントはデッカードに何を言いたかったのか。
デッカードがレプリなら、ブライアントは勿論そのことを知ってたはずですよね。

それから、タイレル社長の人の悪さと言うかな、感情が芽生え始めたレイチェルに、わざわざVKテスト受けさせますかね?
社長としては、自分の作り上げたレプリがどれだけ完璧に仕上がってるか確認したかったんだろうけど、あれじゃ余計にレイチェルの自我が揺らぐはずです。
でまた、デッカードの元を訪ねたレイチェルに、君の記憶は移植されたものだ、と言い放つデッカード。その後のレイチェルの反応を見て、すまなかった、冗談だよ、と前言撤回するも、あれじゃ冗談に思えないって(笑)。
もう、タイレル社長にしろデッカードにしろ、人の気持ちを分かってない。
いやレプリの気持ちを分かってない。

…ふと考えました。
そうか、これって人間とレプリの、分かり合うまでの物語か。


なんか、色々な疑問が湧き出てきて、新しい発見もあって、今回の鑑賞は最高でした。
今一度、全てのバージョンを見返してみようかな。
きっと劇場のスクリーンやIMAXの素晴らしさを痛感することになるんでしょうけどね。


劇場を出た後、空には稲光が光ってました。
どうせなら、これで雨が降っていてくれれば、もう文句無しに余韻を引きづりましたけどね。
まるでSF映画の新作を観た気分になりました。

最後に、先日ルドガー・ハウアーが亡くなりましたね。
安らかに眠られることを願います。
あんがすざろっく

あんがすざろっく