サマセット7

最後の決闘裁判のサマセット7のレビュー・感想・評価

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
5.0
監督は「エイリアン」「グラディエーター」のリドリー・スコット。
主演はTVドラマ「キリング・イブ」、「フリーガイ」のジョディ・カマー。
「グッド・ウィル・ハンティング」「ボーンアイデンティティ」のマット・デイモン(兼脚本)。
「スターウォーズ」シリーズ、「パターソン」のアダム・ドライバー。

[あらすじ]
14世紀末のフランス。
ノルマンディーの騎士ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)は、戦地からの帰還後、美しき妻マルグリッド(ジョディ・カマー)から、夫の留守中に強姦されたと聞かされる。
その相手は、ジャンとは旧知の中の従騎士、ジャック・ル・グリ(アダム・ドライバー)であった。
女性が「夫の所有物」と見做されていた時代。
カルージュはル・グリを告発するも、ル・グリは否認し無罪を主張する。
裁判は国王の預かりとなり、両者の希望により、歴史上最後の国家公認の「決闘裁判」が開かれることになった。
今作は、決闘裁判に至るまでの経緯を、被害者の夫、加害者、被害者である妻の3者の視点から描くが、各々の見た経緯は異なっており…。

[情報]
題材は実際に中世フランスであった史実。
エリック・ジェイガーの歴史ノンフィクション「決闘裁判・世界を変えた法廷スキャンダル」を基盤としている。
事件の真相は、現在でも議論の対象となっている。

今作の脚本は、アカデミー賞脚本賞の「グッドウィルハンティング」以来、マット・デイモンとベン・アフレックの幼馴染コンビによって途中まで執筆され、そこに「ある女流作家の罪と罰」の女性脚本家ニコール・ホロフセナーが参加して完成した。
夫、加害者視点はマット・デイモンらが、妻視点はホロフセナーが担当している。

マット・デイモンは、今作が黒澤明の「羅生門」と同様に、三者視点でそれぞれが信じる「事実」を描くというアイデアに魅了されたと明言している。

監督のリドリー・スコットは言わずと知れた名匠。「決闘デュエリスト」「グラディエーター」「キングダムオブヘブン」「ロビンフッド」「エクソダス神と王」など、歴史ものも数多く手掛けてきた。
いわゆる芸術エリートであり、特に映像製作、撮影、美術に造詣が深く、完璧主義者であることで知られる。
今作では「グラディエーター」で高い評価を受けた美術、撮影スタッフを集結して、中世ヨーロッパを再現している。

製作費不明。
本日は公開翌日であり、評価は定まっていないが、批評家、一般層共に、それなりに高い評価を受けているように見える。

ジャンルは、歴史ドラマ。
戦争、アクション要素、法廷サスペンス要素、ミステリー要素を含む。
激しいバイオレンス描写やセックス描写、虐待描写あり。
特に題材が題材であり、リドリー・スコットらしい酷薄とした陰惨な描写があるので、注意を要する。
子供と観るのは厳禁です。

[見どころ]
3者の各視点からそれぞれ一つの事件を見せるという構成の妙。
事件の真相を巡るミステリー。
中世ヨーロッパの細密な再現。
各キャストの演技。
特に各章の主人公となる三者!!!!そのニュアンス!!!!!
マット・デイモンとアダム・ドライバーの決闘の凄まじい迫力とリアリティ!!!!
そして、3つの章を続けて観ることで、ある「歴史」が浮かび上がるという、現代まで続くテーマ性、メッセージ性!!!!!!!
ラストに押し寄せるある感慨!!!!!!!
これには震えた。

[感想]
個人的に、完璧な作品だった。

未見の人は、ここまででレビューを見るのはやめておき、劇場に走った方がいいかも知れない。
以下、決定的なネタバレをするつもりはないが、話の構造やテーマに触れる。












冒頭は、決闘の開始で始まる。
勇壮で、名誉ある、決闘。
その決闘に至る経緯を、今作は視点を変えた3章で描く。

3章からなる物語の最初の語り部は、マット・デイモン扮する、騎士ジャン。
この人の視点では、ジャン自身は、とにかく酷い目に遭っている。
同僚たちが情けないせいで戦には負けるし、せっかく結婚して美しい妻と豊かな土地をゲットしたと思ったら、領主であるピエール伯爵(ベン・アフレック)から嫌われているせいで、その土地を奪われる。
さらには、父から相続されると思っていたポストまで、親友と思っていたル・グリに持って行かれる。
果ては、妻が強姦された!!?しかもル・グリに??!!!
しかし、彼視点では、あくまで高潔さを失わず、妻の言葉を信じ、名誉と正当な権利のために、国王に決闘裁判を直訴する!!
これぞ騎士の鑑!!!

観客は、当初より「信用ならない語り部」を疑っている。
少なくともジャンに「自覚のある」傲慢さ、嫉妬深さ、強欲さは、ジャン視点からも見て取れる。
むしろ、ジャン視点からは、ル・グリこそが、知的で冷静な騎士という印象を覚える。
肝心の妻のマルグリッドは、ジャン視点からすると、美しき「トロフィー」であり、彼女の意思は、「目に入っていない」ので、話の中に出てくることはない。

次の第二章のル・グリ視点では、ジャン視点と全く異なる物語が描かれる。
同じシーンのニュアンスを変えて、全く異なる意味を持たせる描写が巧みだ。
例えば、ジャン視点では、名誉ある突撃と描かれた戦闘シーンが、ル・グリ視点では、戦果に逸った無謀な突進のシーンになる。
その他、セリフや視線のニュアンス、表情、誰が何を語ったか、どう行動したかが、同じシーンでも細かく異なっている。
人の記憶が、自分に都合よく改ざんされることが、見事に表現されている。

ここまでで、両者の記憶と言い分が明らかになるのだが、この映画がどういう映画か、まだ観客には見えていない。
この映画に、羅生門的なある種の期待をしていた、私のような観客は、ひょっとすると、落胆すら感じているかも知れない。

しかし、最後の第三章、妻の物語で、今作が、本当には何を描きたかったのかが、明らかになる。
今作の構造そのものが、前二章の視点から決定的に抜け落ちていた「視点」を明らかにする。
そして、今作がある「歴史」そのものを描くものであることが理解るに至り、私は慄然とした。

こんな完璧な構成の映画、観たことない。

さらに!ジョディ・カマーの卓越した演技力!!!!!
表情のニュアンス!!!!

マット・デイモン!ベン・アフレック!
自分で脚本書いて、この役、というのがまた凄い!!
アダム・ドライバー!!これまた、ニュアンス!!!化け物か!!

リドリー・スコットのチームの世界観構築の職人技!!!
世界への没入感!!!

ラストの決闘は、演者、演出、美術、衣装、アクション、全てが完璧な、凄まじいもの。
3章を経て、最後の決闘に感じる、恐るべき緊迫感。
こんなにも、心の中で、一方の勝利を願うようになるとは!!!!もはや他人事に思えない!!
迫力!動悸が高鳴る!!!
これまた、こんな映画体験は、久しく感じていない!!!!!

そして、結末。
他では抱いたことのない、ある感慨。

今年ベスト。
何なら、生涯でも十指に入る。
これが映画だ。

[テーマ考]
今作は、人類史のある側面に関する「歴史」を描いた作品である。
終盤、第3章でのマルグリッドに対する義母の告白や「決闘裁判」の仕組みを知ったマルグリッドのジャンに対する言葉が象徴的である。
このテーマの本質的な部分を、映画の構造そのもので語るという、卓絶した手法に、今作の最大の特徴がある。
極めて現代的な、深いメッセージ性、社会批評性がある。

[まとめ]
「信用できない語り部」を用いた巧みな構成により、深く鋭いテーマ性を浮かび上がらせる、史実を題材とする中世ヨーロッパ・歴史ドラマの傑作。
観る前は、正直、期待していなかった。
例のラジオの来週の課題になったのと、リドリー・スコット監督というので映画館行って大正解。
いやはや、映画って、本当に面白いですね!!



[追記]2021.10.26
公開から10日ほど経過し、今作が女性の受ける抑圧を描いたフェミニズムの視点の映画であること自体は、色々な媒体で触れられ、もはやネタバレにならないように思われるため、今作のテーマ考について補足したい。

今作の第三章を観た時、私は、カルージュとル・グリの視点による第一章と第二章は、社会的強者=男性が残した史料によってのみ語られる、という意味で、歴史そのものだ、と思った。

そして、前二章で省かれ、あるいは歪められていた社会的弱者=女性の視点が、第三章で明確に描かれる、という構成に感心した。

第三章で描かれるのは、「強姦」に関する、加害者と被害者の間の深刻な認識の相違であり、男性視点の誤った性知識のおぞましさと無神経さ、セカンドレイプの醜悪さ、そして、被害者女性が負う「告発」の負担の絶望的な重さである。
これらは、肉体的に火炙りにはならないにせよ、精神的苦痛という面では、現代においても、何ら変わりはない。

そして、まさに第三章で、女性たちが、連綿と何世代にもわたり、沈黙を強いられてきた構造が明らかになり、上記の「歴史は男性視点によってのみ語られてきた」という印象は補強される。

「歴史の語られ方」という観点で映画を観ると、羅生門的な相互に矛盾する三者視点が、いかに的確な構成かが解る。
すなわち、今作は、実に7世紀も前の歴史を題材とした作品であり、「史実」は史料からしか窺い知れない。
第三章は、最も真実に近いかも知れないが、あくまで現代からの想像の産物に過ぎない。
それゆえに、あえて相対化することを恐れず、公正さを担保するための、羅生門風の、三者視点。
ここで加害者視点や夫視点を省くとすると、それは、女性の視点を省いてきた、従来の史観とやっていることが同じになってしまうではないか。
ル・グリ視点に関しては、ここまで対比して描かないと、お前たち、分からないだろう?という諦観の故かも知れないが。

リドリー・スコットの冷厳とした容赦の無さは、騎士道精神なる男性的価値観の結晶の虚飾を暴き立てる。
「決闘」の映画冒頭と、終盤の印象の違い!!
終盤のソレは、もはや、獣同士の死闘であり、そんな無益なものに、自らの生死を無理矢理賭けさせられるマルグリッドには、同情する他ない。
自らの体面のために、マルグリッドに火炙りのリスクを負わせたという意味では、愛を語るル・グリも高潔を謳うカルージュも同罪なのだ。
マルグリッドに共感した観客は、その火炙りを回避すべく、虫酸が走ろうとも、カルージュを必死に応援せざるを得ない。
その理不尽が、ラスト、他に経験のない複雑な感情の入り混じる、虚無的な感慨をもたらす。

ところで、今作は、いわゆるme tooを描いた映画だろうか。
マルグリッドには、無論、ル・グリに正式な裁きと罪に見合う罰を受けさせたい気持ちは大いにあっただろうが、第一には、精神的ショックに打ちのめされた状況をわかって欲しくて、夫に事情を打ち明けたとも思える。
彼女が、裁判所におけるセカンドレイプや自らの生死が賭けられた決闘裁判など、望んでいなかったことは明らかだろう。
しかし、当時の時代背景やマルグリッドの義母の告白を観るに、夫に事実を打ち明けること自体が、恐ろしく勇気の要る行為だったこともまた、間違いない。相手がカルージュなら尚更だ。
自己の尊厳を守るため、誤った非道な行為に対して、誤っていると声を上げること。
その精神は、たしかに、現代のme too運動と共通するものである。