カリカリ亭ガリガリ

最後の決闘裁判のカリカリ亭ガリガリのレビュー・感想・評価

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
5.0
超絶大傑作!今年ベストです!!!
研ぎ澄まされた映像美や美術は朝飯前で、『羅生門』形式をレファレンスとしながら、その『羅生門』にすら感じられた女性蔑視な側面を批評する形で、現代にこそ通じて"しまう"残酷極まりない悲劇に対して映画がアゲインストを鼓舞してみせる、そして果てしなくエンタテイメントでもある。映画を観ることの恐ろしさと快感が鮨詰め状態。ああ最高。
こんな大傑作が都内だと今日で上映終了の始末。誠に遺憾。映画が大好きなあらゆる人々に、心からおすすめしたい。

リドリー・スコット御大83歳にして、まだまだ名作創造主。「もはやデビュー作が『デュエリスト/決闘者』なんだし、この『LAST DUEL』が遺作となったらフィルモグラフィは相当かっけーんじゃないか……」などと不謹慎にも考えるも、本作を観に行くと上映前に『ハウス・オブ・グッチ』の予告が上映されるという。リドスコの新作を観に行くと、リドスコの新作の予告が流れている。さすが早撮り番長。この異常事態にも笑う。

所謂「フェミニズム映画」とジャンル分けしてしまうには、大変にレイヤーの多い多層的な作品でもあるため、個人的には普遍的なクラシックに成り得ていると感じる。
MeTooムーブメントで株を落としかけたベン・アフレックとマット・デイモンによる共作脚本は彼らの懺悔のようでもあり、そこにニコール・ホロフセナーを加えたことによって、間違いなくスクリプトの格上げに成功しているのもサムズアップ!

マット・デイモンとアダム・ドライバーの名演には、映画が進行するにつれて「このゲス野郎!!」という気持ちで一杯になり憤慨する。それはまるで、「男性性」のダークサイドな側面が、二人の男として分裂して表象化されているように感じられた。

デイモン演じる勇敢な騎士かと思われていたカルージュの「あちゃー」な言動の数々だったり、実は彼が全然仕事のできないバカ(だということが奥さんにバレる)だったり、するにも関わらず、彼の視点で描かれる彼自身の男前なこと!勘違いすな!!欺瞞と自己愛。戦うことしか脳のないバカ旦那。
対するドライバー演じるル・グリのゲスの極みっぷりには正しく嫌悪感を覚えつつ、ジョディ・カマー演じるマルグリット視点で見られる彼の更なる愚かさっぷり。てめぇ全然かっこよくねぇから!!悪いことを悪いことと認識していない男は、それでも神に懺悔はする。
たとえばカルージュとマルグリットの婚礼にて、口付けは神から神父へという流れを経て、ようやくカルージュからマルグリットに行われる。この上から下に流れる構造、そして下にいるのは女性というヒエラルキーを露呈している一連のショットの連なりだけで、猛烈にキリスト教を批判してみせる。
信仰と価値観。女性は男性の所有物でしかない世界。要は「マチズモ的な男性至上主義と、それを良しとするキリスト教は、漏れなく最低でファックオフ」ということだ。(リドスコは無心論者)

個人的にはジョディ・カマーはオスカーにノミネートされてほしいと懇願するほどには素晴らしい芝居だった。彼女に起こる最低最悪な事件然り、彼女の周囲にいる義母や女友達すら敵と化していくあまりにもハードコアな展開に対して、彼女の屈しない強い意志が対抗を続ける。この場合の意思とは、宗教や社会が規定している正しさではなく、自分自身が正しいと思うものを信じ通すという自由意志のことだ。たとえ脅されようとも、私は私の尊厳のために屈しない。それはすなわち、未来の女性たちのための"決闘"でもある。
そして、羅生門スタイルの作劇そのものが、彼女の背中を押すような作りになっている。だからこそ、この映画のラストショットは、あの表情以外考えられない。

書きたいことも語りたいことも山のようにあるけれど、ともかく、めっちゃ面白いです。映画をめっちゃ面白くするために、ありとあらゆる適材適所な演出が盛り沢山です。いやー観れて良かった!!

靴を脱いだショットと、靴が脱げたショット。たったそれだけの僅かな映像だけで、現実も真実も変容してしまう。作り手たちは"何をどう見せるか"、そしてわたしたちが"何を見るか"、そんな共同作業の果ての満足感を味わい尽くしてほしいです。