くわまんG

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲のくわまんGのレビュー・感想・評価

3.0
SF、ロマン、家族愛が融合したスーパーアドベンチャー!…かと思いきや、ターゲット(大人、親)を意識した安易で片手落ちな商業映画でした。

みどころ:
ゾッとするようなアイデアのSF
子供大喜びの下品なハチャメチャ
設定台無しで中身の無い結末
どんどん勢いが落ちる構成
誰にも感情移入できない

あらすじ:
しんのすけ達が住む春日部に斬新なテーマパーク「20世紀博」が完成した。20世紀の懐かしいアイテムやシチュエーションに浸かることができる、中年ホイホイな娯楽施設。
野原家もご多分にもれず訪れてみたが、ひろしとみさえはドップリはまってしまい、毎週末通うように。二人だけじゃなく、春日部中の大人が、今や20世紀博に入り浸っていた。
そしてある日、春日部の大人達はとうとう20世紀博に引きこもってしまう。何とかしようと立ち上がったしんのすけは、春日部防衛隊を召集して謎を解き明かそうとするのだった……。

「20世紀の頃思い描いた21世紀は、夢と希望にあふれていた。だのに実際にあるのは、汚い金と燃えないゴミだ。」、とこういうセリフを吐きながらも、やってることはただのテロリスト。しかし自己矛盾を抱え始めていて葛藤する悪党…良い!好物!とまぁ前半はかなり期待したんですけどねぇ。

何しろ致命的だったのは、各々の背景がゼロで全く感情移入できないところ。ひろしの「家族がいる幸せをあんたにも分けてやりたいよ」は空砲に終わってたし、しんのすけの爆走もあざといだけで醒めた。成長すべき悪党に最後まで変化が認められないまま、安物感動の詰め合わせでだめ押され、試合終了。終盤は頼みのエンタメ要素さえつまらなくなり(タワーでの攻防以後)、寝ました。これじゃディズニーやドラえもんの比較対象でさえないかなぁ。

以下備忘録です。

これを観て、子供が大人になりたいと思わないだろうし、大人が前向いて頑張ろうとも思わないだろう。だからつまらない。そもそも大人をターゲットにした作品なのに、その代弁者たる悪党がどうして歪んだか全く描かれていないし、反省も前進もしないのでは話にならない。温故知新をゴールにして、愛をキーアイテムにしたかったんだろうけど、全部失敗している。

アラサーにもなると私達は「最近の若者はなってない」と、ごく自然に感じ始める。理由は、思いつく限りで三つある。

まず、若い世代を理解しようとするから。旧世代とは新世代を理解しきれない人達のことを指すのであり、だからジェネレーションギャップが生まれる。肝心なのは、両者間に違いはあれど、原則優劣は無いということ。

次に、わからないものは否定する方が楽だから。拒絶すると被るダメージを減らせるし、「私は違いの分かる人間だから否定できるのだ」という優越感さえも味わえる。ではなぜ旧世代はそうやって、新世代は自分達と違う=下に見がちなのか。

それが最後の理由、旧世代が新世代より年上だから。年齢や経験値はそれだけでアドバンテージであり、両者が同じ土俵に立つのは不自然なこと。だから年長者は意識的に目線を揃えるか、煙たがられても上から物を言うべきだろう。

若者の質が年々落ちているはずがない。そう主張する人は責任転嫁しているに過ぎない。周りの若者が自分をイラつかせるのは、紛れもなく自分に原因があることから目を背けているだけであり、その関係性は個人でも社会でも変わらない。とどのつまり、上の世代は下の世代のためを思っておればそれでよいと思う。

本作の悪党は、その辺を履き違えて闇落ちしている。現実に不満を感じるのを、時世や世代のせいにし、挙げ句リセットと称して大量殺人を敢行せんとする過激思想家。典型的な無責任野郎だと言える。ところが少し面白いのは、既に自身の行動がテロでしかないことにどこかで気づいており、良心が決意をぐらつかせ始めているというところ。無責任、すなわち幼稚ゆえの不安定さが浮き彫りになっており、変化するにはもってこいのコンディション。

と来れば、主人公達の頑張りにより改心し、成長して自ら局面を打開してもらわないといけない。つまり、大人が子供から学んで再び前へ方向修正し、子供を守る存在であることを自覚し直す、というような運びにするべきだった。わがままに自殺を図るのではなく、その大義のためにフィクションらしく死んでもよかった。なおかつ、旧き良き時代の魅力、年を重ねることの素晴らしさが、子供達に伝わる内容でないと、「大人をも唸らせる児童アニメ」にはならない。