ケンヤム

エレクション 黒社会のケンヤムのレビュー・感想・評価

エレクション 黒社会(2005年製作の映画)
4.6
掟、規範、伝統が友情、愛、信頼などのあらゆる人間性を侵食していく。
その哀しさのようなものが、この映画には溢れている。


ロクが醸し出す「どうしてもこうするしかない」という哀しさは、ゴットファーザーにおけるマイケルコルレオーネの哀しさを彷彿とさせる。


彼らを操り人形のように弄んでいるのは、伝統そのものだ。
この映画では、それが「竜頭棍」だ。
「竜頭棍」に彼らは操られている。
組織であり、伝統であり、規範により彼らは行動を規定されてしまっている。
ディーはその伝統に規定されない唯一の存在であったが、規範や伝統に支配されているマフィア社会ではディーのような感情的で自由であろうとする人間は淘汰される。
ロクはディーのことをほんとうの友達と思っていただろうが、それと組織の論理とは全く別の話なのだ。
「仕事」なのだから、しょうがないのだ。


最後の一連のシーンで猿が映されるが、あれは猿を厳格な組織社会のメタファーとして提示しているのだと思う。
サル山のような厳格な組織社会によって、彼らは殺される。
伝統や規範、掟というものが合理主義に置き換えられていったのが現代のマフィアの世界の特徴だ。
結局私たちの社会は、弱肉強食化=野生化し始めているのではないか。
猿に戻ろうとしているのではないか。


何かに操られるように殺しあう男たち。
男たちは規範のために友情を犠牲にしていく。
鑑賞者である私たちは、彼らの友情が美しいことを知っているが故に、その友情が壊れていく様を見るのは悲しい。
ロクの「帰ろう」というセリフにその哀しさが凝縮されているように、私は思った。
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