KOUSAKA

優しさのすべてのKOUSAKAのレビュー・感想・評価

優しさのすべて(2021年製作の映画)
4.0
第31回映画祭TAMA CINEMA FORUM「第22回TAMA NEW WAVE」オンライン配信にて鑑賞。

今回のコンペティション5作品の中で唯一、2回続けて見てしまいました。

正直なところ1回目は、初期の濱口竜介監督作品っぽいな~くらいの印象しかなく、マアサもカイもただ自分勝手で面倒くさい人間にしか思えませんでした。特にマアサには「浮気してるくせに何でこんな偉そうやねん」と否定的な印象しか持てずにいました。

夜の住宅街や商店街でマアサとカイがデッカイ声出したりするたびに「近所迷惑やろ、お前ら!」って思ってしまうし、そう思うってことはあまり作品にのめり込めてないんやな~と思ってました。

でも心の中に何か引っ掛かりがあって、なぜか「もう一度見たい」と思ったのが自分でも不思議でしたが、いざ2回目を見始めたら、もうオープニングから全く違う見え方がして、作品の印象が180度変わりました。

特にマアサが、冒頭からすごく寂しそうに見えて、彼女が内に秘める「空虚さ」が初っ端からグワーッと立ち上がってきました。そう、あれほど忌み嫌っていたマアサに、深く感情移入し始めている自分がいたんです。

さらに言えば、マアサだけじゃなくカイも含めて、この二人は楽しそうにしている時もずっとどこか寂しそうで、二人の間に歴然と存在する「見えない壁」のようなものが、見ている自分の中にまでズシ~ンと居座ってくるような感覚を覚えました。

だからこそ、あの永遠に交わらない4拍子と3拍子の演出や、ダンス教室の記念写真が醸し出す空虚さと絶望感は、2回目でようやく気付かされましたし、きっとこの作品は、見る回数を重ねれば重ねるほど新しい発見があるんだろうと思いました。

というわけで、今となっては好きなシーンばかりですが、唯一、1回目から好きだったのは、狭苦しくて見通し悪すぎる「閉鎖空間」のようなバルコニーで洗濯物を干しているシーンでした。

ある種「病的な空間」のように感じるあのバルコニーの「カタチ」が本当にヤバい。なぜあのシーンに心が持っていかれるのかは、まったく自己分析できてません。もしかしたら、もっと鑑賞回数を重ねることでその理由が立ち上がってくるかもしれません。いや、もしくは一生分からないかもしれない。マアサの言葉を借りれば、きっとその可能性も「半分半分」なのかも。
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