タナカリエ

硫黄島からの手紙のタナカリエのレビュー・感想・評価

硫黄島からの手紙(2006年製作の映画)
4.1
今回は父親たちの星条旗と共に連続で視聴。
個人的には父親たちの星条旗を見てから硫黄島からの手紙を見る方が好きです。


クリント・イーストウッド監督は
父親たちの星条旗の撮る際、硫黄島の戦いについて調べていくうちに「アメリカ兵も日本兵も、皆同じ人間で、どちらも祖国を思い、友を思い、仲間を思っていた」という所に気が付き、
「硫黄島からの手紙」として、日本側視点を撮ることに決めた、というくだりは有名すぎて書く必要もなしかもしれませんが
一応記録、ということで。(笑)


ハリウッド映画、ですが全編日本語です。

日本映画における戦争は
怖い!日本兵の統率力パない!
センソウヨクナイヨ!
みたいな表現ばかりですが

「硫黄島からの手紙」はまったくちがう。
恥じるべきはこんな日本目線の映画を日本人監督は撮らず、クリント・イーストウッド監督か撮った、ということである。




父親たちの星条旗と違うのは全編通して基本的に戦争前線、硫黄島での戦いがメインとなっています。
(父親たちの星条旗でのレビューで、硫黄島での戦いのシーンと、祖国アメリカとの色彩の対比などを書きました。良ければそちらも)
というのも、国のため、愛国心のため、天皇陛下のため
生きて帰るということは言ってはならないぐらいの状況下の終戦間際。
その心の葛藤を強く強く書いた作品。
そのため基本的には硫黄島での話がメインとなります。

やはり「硫黄島からの手紙」でも同じように
セピアトーン、モノクローム、とても彩度の低いアースカラーと炎の色だけ、という画作りです。
硫黄島という島の性質、土質、また暗い夜半にも及んだ戦いの中で用いられた照明弾の明るさ。
まるで希望の光のような、夏の花火のような、けれどそれは映されたら死を意味する照明弾。
光と影のコントラストが「父親たちの星条旗」よりも強く感じられました。


また捕虜の手紙を読むシーンでは
絶対に口に出してはならないと思いながらも
本土に残してきた家族への思い、
本土に攻撃を行かせない=家族を守るため
に戦地へ出てきたはずなのに、
最後に会いたい生きて帰りたいと思うのは家族の顔が浮かぶから。
このシーンは矛盾、本音と建前、色んな感情が人によって異なり、それが渦巻いている様子がすごく感じられました。

また日本史にお詳しい方には常識中の常識でもありますが
硫黄島での戦いの辺りでは所謂職業軍人の方はほぼほぼ戦死もしくは上官士官になっている方のみで、一般兵は「赤紙」で徴収された一般市民がほとんどでした。

それ故に、戦時中の日本兵!という感じではない、なんだか親近感が湧いてしまうような、そんな感じがしました。
その点を踏まえると、異論を唱える人も多い二宮和也さんのちょっと砕けすぎたキャラクター、日本語の使い方に対して、私は納得できる、という感じもします。


二宮和也さんの演技についてはもう一点。

どうしても戦争物のドラマや映画ではよくあるお堅い日本語で統率の取れた、本音は表情のみで演技する!建前を貫く!みたいな演技、脚本がほぼ、かと思うのですが
少し現代チックすぎる気もする砕けた日本語、キャラがより現実味を増してくれている、とも思います。
話には聞いても、授業で聞いても、映画やドラマで見てもやはり少し絵空事になってしまうくらいに日本にとって戦争は昔のことになってきている。
(それだけ日本が平和だからこそ、なんですが。)
だからこそ、あの西郷という役を二宮和也さんが砕けて演じることでとても人間味を感じることが出来ました。


加瀬亮さんのだんだん痩けていく感じ、眼孔が開いていくような演技。
迫るものがありました。

そして渡辺謙さんは、本当に頭の毛穴までコントロールできるのか?!
と言うほど身振り手振り素振りに無駄がない。本当に役が生きている。
戦前、アメリカから日本に帰国する際のお別れの食事会でのシーン。
「もしアメリカが日本と戦ったら?」という友人の何気ない問に対する返答の微妙な間、表情、汗腺までコントロールしてるのか?!というほどの寸分狂いのない演技、本当に流石としか言い様がありません。
渡辺謙さんに負けじと食いついた演技を出来た数名が最後まで印象に残りました。



平成という戦争のない時代が終わり、令和という新しい時代が始まった今
上皇陛下がどんな気持ちで昭和、平成を見つめていたのだろうと思うと胸がぎゅっとなります。
令和もどうか、戦争のない平和な時代であることを祈って。